ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
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マハルシの年表
マハルシ(モノ3つ合成2)


複数の日本語文献、shibaさんのアルナーチャラの聖者、アルナーチャラ便り「SILENCE」を読んで、マハルシの年表をまとめてみました。
 *2014年6月23日公開
 *2018年1月22日アーシュラムの歴代会長を追記

1879年
 12月30日午前1時 (日本時間:30日午前4時30分)
  スンダラム・アイヤール(父)とアラガンマル(母)の次男(ヴェンカタラーマン)として
  南インド・タミル・ナードゥ州のティルチュリ村に生まれる
   *両親は、ヒンドゥー教徒。盲目の助産婦が輝ける光を見ている
  長男:ナーガスワミ(2歳年上)
  三男:ナーガスンダラム(6年後)
      後にニランジャナーナンダ・スワミと呼ばれる
      (別称:チナスワミ/小さなスワミ)
  長女:アラメール(8年後)
1891年
  初等教育をティルチュリで修めた後、ディンディグルに移動
1892年
 2月18日
  父(スンダラム・アイヤール)死去
  父方の叔父(義弟)スッバ・アイヤールの家(マドゥライ)に住むことになった
  スコット中学校→アメリカン・ミッション・スクールで学ぶ
   *幼い頃から「アルナーチャラ、アルナーチャラ」という声が常に聞こえていた。
    が、それが何であるのかわからなかった(誰にも聞こえる声だと思っていた)
1895年
 11月1日
  年配の親戚の人がマドゥライを訪れ、「どこから来たのですか?」と尋ねたところ、
  「アルナーチャラからだよ」と答えた
   *ヒンドゥー教の聖典は何一つ読んでいなかった。唯一読んでいたのは、シヴァ神の
    聖なる帰依者63人の生涯をつづった信仰の書「ペリヤ・プラーナム(セッキラール著)」
    だけだった
1896年
 7月中旬
  「死の体験」(太陽暦17歳、西洋歴16歳)
   *自分の身体が火葬場に運ばれて焼かれるのを「見た」。その後もその焼かれる
    感覚は続いた。アルナーチャレーシュワラ大寺院のアグニ・リンガム(火のリンガム)
    を抱いて、「父よ、仰せの通りやって来ました。御心のなすがままに」と言うまで、
    その灼熱感は続いた
 8月29日
  マドゥライを去り、アルナーチャラへ
 9月1日
  アルナーチャラに到着
  アルナーチャレーシュワラ大寺院の千本柱廊のホールに住む(数週間)
   *至福に浸ったまま不動のうちに座り続けた
  子どもたちに石を投げられるなどしたため、パーラータ・リンガム(古の聖者の
  小さな埋葬室。蟻や害虫や小動物がたむろする暗く湿った、日の光が決して
  届かない場所)に避難(数週間。マハルシの大腿部は、血と膿が滴った傷で
  覆われていた)
  ヴェンカタチャラ・ムダリが、マハルシを埋葬室からスブラマニヤ神殿に移す
  (数週間)
  寺院内の夾竹桃のそう林の庭園に移る
  神輿車のあるホールに移る
  寺院の外壁を巡る道沿いの木の下やマンガイ・ピラヤール寺院に移る
1897年
 1月か、2月
  街のはずれにあるグルムルタムに移る
   *ここで初めて字を書いた(タミル語でこれのための奉 仕はこれで十分だ)   
1898年
 5月
  マンゴー果樹園に移る
   *ここで、マハルシは、パラニスワミを助けるため、パラニスワミが読んでいた
    本を手に取って読み通すと、それらの教えの精髄を示す簡潔な概要をパラニ
    スワミに与えた
  父方の叔父(義弟)のネリアッパ・アイヤール(マドゥライで二級弁護士)が訪問
   *まるで岩のように、反応がない
 8月
  マドゥライで一緒に暮らしていた叔父(スッバ・アイヤール)他界
  アイヤンクラム沐浴場の西側にあるアルナーギリナタール小寺院に移り、沈黙を
  保ったまま托鉢を始める(1ヶ月)
  大寺院の塔の一つと寺院内のアラリ樹園に移る(1週間)
 9月
  パヴァラクンドゥル寺院へ移る(ここでも、食を乞いに行くとき以外は、サマーディの
  中に没入したまま座っていた)
 12月
  母(アルガンマル)が訪問
   *小高い丘パヴァラクンドゥルの岩の上に座っていた。ここにたどり着いた母が、
    「家に戻っておくれ」と訴えたが、一切反応しなかったが、見かねた住人たちの
    苦言により、紙切れに返事を書いた
    「神はプララーブダカルマ(過去生における行為のバランスから生じる、今生で
    成し遂げられるべき運命)に応じて、魂の運命を支配する。いかに努力しようとも、
    運命に定められていないことは起こらない。またいかに避けようとしようとも、運命に
    定められたことは必ずや起こる。これは確かだ。それゆえ最善なのは、沈黙に留まる
    ことだ」
  この頃、外的な普通の生活に戻る最初の兆候が現れ始めていた。自ら托鉢に出かけ、
  食事を決まった時間に取り始めた。また、何度か話しをしたり、帰依者たちの要望に
  応じて聖典を読み、その教えの本質を説明したりした
1899年
 2月
  アルナーチャラの丘に移る
  山の上の様々な洞窟に滞在するが、ヴィルパークシャ洞窟にほとんど滞在
  マンゴーの木の洞窟を夏の住居として使う
1900年ごろ
  2歳年上の兄(長男・ナーガスワミ)死去
   *子供はいない。妻は10代
   *長女(アラメール)は、結婚していたが、子供はいない
   *三男(ナーガスンダラム)は、結婚していたが、このとき子供はいない
1901年
  シヴァプラカサム・ピライの質問に答える(私は誰か?)
1902年
  ヴィルパークシャ洞窟でガンビラム・セーシャイヤの質問に答える
  (後に「真我の探求」として出版)        
  三男(ナーガスンダラム)訪問
1905年
  ペストが流行したためパチャイアンマン・コーリに移動
1907年
 11月18日
  カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニと出会う
  ムニにウパデーシャを授ける
1908年
 1~3月
  ガナパティ・ムニと他の人と共にパチャイアンマ・コーリに滞在し、ヴィルパークシャ
  洞窟に戻る
  アーディ・シャンカラ作のヴィヴェーカ・チューダーマニとディルク・ディクシャ・
  ヴィヴェーカをタミル語の散文に翻訳
1911年
 11月
  最初の西洋人であるF.H.ハンフリーと出会う
1912年
  ヴァスデーヴァ・シャーストリーと他の人の面前で、第2の死の体験(トルトイズ・ロック)
1913年
  母(アルガンマル)が、三男(ナーガスンダラム)の妻を連れて、ヴィルパークシャ洞窟に
  行き、ナーガスンダラムに子供が授かるようマハルシに祝福を求めたところ、翌年、
  子供が生まれた。感謝を込めてヴェンカタラーマンと名付けた
1914年
  母(アルガンマル)が、ヴィルパークシャ洞窟に来たところ、高熱を発した(腸チフス)ため、
  アルナーチャラへ祈り(歌)を捧げる
  「おお、智慧の炎なるアルナーチャラよ。その光のうちに我が母を抱き、あなたと一つに
  して下さい!」
1915年
  「ポッパドムの歌」が母のために書かれる
  以下のものも、ヴィルパークシャの日々の間に書かれる
   アルナーチャラ・アクシャラ・マナ・マーライ
   アルナーチャラ・パディカム
   アルナーチャラ・アシュタカム
   デーヴィーカ・ロッタラの翻訳
   アーディ・シャンカラ作のダクシナームールティへの賛歌、グル・ストゥーティ、
   ハスターマラカ・ストートラの翻訳
1916年
  スカンダシュラムに移る
  三男(ナーガスンダラム)の妻が亡くなる
   *三男の子供(ヴェンカタラーマン)は、長女(アラメール)に
1917年
  サンスクリット語でアルナーチャラ・パンチャラトナムを作る
  母がスカンダシュラムに定住
  シュリー・ラマナ・ギーターが、ガナパティ・ムニによりサンスクリット語で著される
1922年
 5月19日
  母入寂
 12月中旬
  シュリ・ラマナシュラマムの現在の敷地に移る
1927年
  ウパデーサ・サーラをタミル語、サンスクリット語、マラヤーラム語で作る
 4月24日
  アートマ・ヴィドヤを作る
1928年
  ウラドゥ・ナルパドゥ(40詩節)をタミル語とマラヤーラム語で作る
   *サット・ダルシャナム
1930年
  サンスクリット語のサット・ダルシャナム(ガナパティ・ムニによるタミル語からの翻訳)
1933年
  アーガマのサルヴァジニャーノータラムのアートマ・シャークシャートカーラをタミル語に
  翻訳
1936年
  シュリー・ラマナ・ギーターをマラヤーラム語に翻訳
1939年
 9月1日
  マハルシによって、マトゥルブーテーシュワラ寺院のために基礎が置かれる  
1940年
  バガヴァッド・ギーター」から42詩節を選び、タミル語とマラヤーラム語に翻訳
1946年
 9月1日
  アルナーチャラ到着50周年記念式典
1947年
 2月
  エーカートマ・パンチャカムをテルグ語とタミル語で作る
1948年
 1月18日
  牝牛のラクシュミーがニルヴァーナを得る
  アーディ・シャンカラのアートマ・ボーダをタミル語に翻訳
 12月第2週
  左肘に小さな瘤を発見
1949年
 2月9日
  小さな瘤を切除
  一週間くらいで傷口完治
 3月最初の週
  瘤が成長
 3月中旬
  再発した瘤(肉腫)を切除
  傷口完治せず、数日後に新しい腫瘍が現れる
  医師が腕の切断を助言
  ラジウム療法で腫瘍の成長が少し治まる
 3月17日
  マハルシの面前で、マトゥルブーテーシュワラ寺院のクンバービシェーカム
 6月
  再び成長
  アーユルヴェーダの治療を始める
  腫瘍が非常に急速に成長
 8月14日
  腫瘍を切除し、ラジウム療法
  3カ月間、腫瘍の成長は現れなかった
 12月初め
  数インチ離れた腕の中央に小さな瘤
 12月19日
  第二の腫瘍を切除
  腫瘍が筋肉の深部に広がっていた
  ホメオパシーを試みたが、再発。アーユルヴェーダの治療も不調
  腫瘍の成長が急速に増す
1950年
 4月9日
  ベッドから離れられなくなった
 4月14日午後8時47分(日本時間:15日午前0時17分)
  粗雑な身体から離れる    
  その瞬間、鮮やかに輝く流れ星が、南(現在のニルヴァーナ・ルーム)から出て、
  空を横切り、ゆっくり北側に動き、アルナーチャラ山頂の背後に消えるのがインドの
  様々な場所で多くの人に目撃される

マハルシが、マドゥライの叔父の家の二階の部屋でひとり座っていたときに、激しい死の恐怖が突然襲いかかり、それについて何をすべきか考え、内面を探求したところ、「私」が肉体ではなく、「真我」であることを何の思考過程もなしに直接知覚し、真我へ没入するようになったようです。(この間、わずか30分くらい)
つまり、「死の体験」をしたときに、「真我の探求」による努力によって、真我を知覚し、真我へ没入するようになったということのようです。(「死の体験」をすれば、誰でも真我を知覚し、真我へ没入できるわけではないようです)

マハルシは、「真我探求」が導く成就は、通常、即座にではなく、長い努力の末にのみ達成できるもので、本来の自己(真我)を実現するための唯一直接的な方法だと語ったそうです。
さらに、「真我探求」は成就するまでに長い時がかかるかもしれないが、変容のプロセスは即座にもたらされる、「自我がそれ自身を知ろうとしはじめた瞬間、それは、いままで巻き込まれていた身体から徐々に離れ、より真我の意識の質を帯びるようになる」と説いたそうです。

マハルシは、ティルバンナーマライの寺院や神殿に滞在した二年数ヶ月、真我に没入して座り、沈黙し続け、世界と身体を完全に無視していました。この間のことを「真我実現のために行っていたのではなく、真我を実現した結果である」と、また、「沈黙していたのは、世俗的な要求がなかったため、単に話す必要がなかったから。話さないということが、妨害から守ってくれると思いついたから」と語ったそうです。

マハルシは、世界の現れに無意識なまま、真我の中に完全に没入したニルヴィカルパ・サマーディ(永久的なサマーディではない)であったようです。
これを、井戸の中に下ろされた桶にたとえて、「桶の中には、井戸(真我)の中でひとつとなった水(心)が入っている。だが、ふたたび引き上げられるためにロープと桶(自我)はいまだに存在している」と語られたそうです。
つまり、このような状態にあっても、サハジャ・サマーディ(最終的な状態。世界の現れの完全な気付きを伴いながら、身体と精神の機能を完全に行使した、至福さえ越えた、妨げられることのない純粋意識。真我にとけ込んだ状態)ではないと語られたようです。

マハルシが、外的に正常な状態を保ちながら日常生活に従事できるようになったのは、「死の体験」から数年を要しています。

【参考】
1.アーシュラム歴代会長
初代(~1953年)
 ナーガスンダラム(ニランジャナーナンダ・スワミ)
 別称:チンナスワミ
 *マハルシ(二男)の弟(三男)
2代目(1953~1944年)
 T.N.ヴェンカタラーマン
 別称:スワミ・ラマナーナンダ・サラスワティ
 *マハルシの甥(三男ナーガスンダラムの息子)
3代目(1994年~現在)
 V.S.ラーマナン
 別称:スンダラム
 *マハルシの甥(T.N.ヴェンカタラーマン)の長男

2.「ラマナ・ペリヤ・プラーナム(75人の古い帰依者の霊性の旅)」
バガヴァーン・ラマナ・マハリシを大伯父に、元アーシュラム会長ヴェンカタラーマン氏を父に持つV.ガネーシャン氏(二男)は、アーシュラム・マガジン「MountainPath」の編集などを通じて、アーシュラムに約37年間貢献されました。
引退後、バガヴァーンの古い帰依者達をアーシュラムに再度招いて、その最期を看取ることを自らのサーダナとされました。
これを機会に、彼らの口から直接バガヴァーンと過ごした懐かしい日々を聞き出して記録することに専心するようになりました。
面会を重ねるうちに、それまで存在しなかった「帰依者達によるバガヴァーンの回想録」が紡ぎ出されました。
帰依者一人一人の心の奥深く仕舞われていたバガヴァーン秘話は、こうして「ラマナ・ペリヤ・プラーナム」として開花したのでした。
「ペリヤ・プラーナム」は熱烈なシヴァの帰依者63人を綴った、タミール・ナドゥに伝わる古い聖典です。
この表題にちなんで、バガヴァーン・ラマナ・マハリシと古い帰依者75人の密接な交流が描かれたこの本は、「ラマナ・ペリヤ・プラーナム」と名付けられました。

マハルシ(540)


 *Talks
 *Talks(独り言)
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この記事に対するコメント
死ぬことと生きること
Who-kuさん

お互い、いい年になってきました。
こういう経験を経て、そして、私たちも。

その時を迎えるまで、より良く生きましょう!
("⌒∇⌒")
【2018/01/25 15:12】 URL | ookuwa #cJKlNMNY [ 編集]

死の恐怖
お悔やみありがとうございます。
私の新しいブログは、はからずも「死の恐怖」についてのものになっています。

今回の内容、まとまっていてすごく良いですね。
「死の体験」=悟りでないというお話に、やっぱりという感じです。臨死体験の本もいろいろ読んだけど、人それぞれ。自分自身の体験を、きちんと探求して理解しないと、夢のような解釈になってしまうようです。

それではまた。v-22
【2018/01/25 11:43】 URL | Who-ku #- [ 編集]


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Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2018.01.22 マハルシの年表
2016.03.13 Talksなどのまとめ
2014.12.22 マハルシの文献
2014.02.15 真我の探求方法



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