ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
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Talk 27 ラマナ・マハルシとの対話
<Talk 27 ラマナ・マハルシとの対話>
*2009年8月10日翻訳開始、10月24日翻訳終了、2013年2月18日修正

【質問者】
いかにして、それらは(Talk 26のマハルシの回答)、実践されるのでしょうか?

【マハルシ】
外的な現象のはかない生まれつきの性質の調査が、vairagyaへ導きます。
 *GROSSARY:vairagya:dispassion:平静、non-attachment:無執着
従って、探求(vichara)は、真っ先に取られる手段です。
vicharaが、無意識に途切れなく続くとき、それは、富、名声、安楽、喜びなどに対し、無視をもたらします。
「私」という思考は、綿密な調査の結果、より明確になります。
「私」の源は、ハート、つまり最終目標です。
でも、もし、熱望する人が、Vichara Marga(内側を見る分析的な方法に属する)に気質的に適していなければ、彼は、神、導師、一般的な人間愛、道徳的な法、またさらに、美の想念かもしれない理想的なものにbhakti(帰依)を身につけなければなりません。
 *GROSSARY:Vichara Marga:the spiritual path of enquiry:探求の精神的な道
これらの中の一つが、個人を占有するとき、その他の執着は弱々しく育ちます、すなわち、平静(vairagya)が発達します。
理想的なものに対する執着が同時に育ち、そして、最終的に一歩も譲りません。
従って、ekagrata(集中)は、同時に、いつの間にか、幻と直接的な助けとなるものを持っていようがいまいが、育ちます。
探求と帰依の欠如の中では、自然な、鎮静作用のあるpranayama(呼吸調節)は、試されてもよいです。
これは、Yoga Margaとして知られています。
 *GROSSARY:Yoga:union (with the Supreme Being):(至高の存在との)結合
           Marga:path:道(人が歩いて踏みならされて自然にできた小道)
もし、命が危険にさらされれば、すべての関心は、一点、つまり、命を救うことに集中します。
もし、呼吸が保持されれば、心は、心のお気に入りの物、つまり、外部の対象に飛びつくわけにはいきません(そして、飛びつきません)。
従って、呼吸が保持される間は、心に安らぎがあります。
すべての注意が、呼吸、または、その調節に向け直されると、その他への関心が失われます。
また一方、情熱には、不規則な呼吸が伴われます。ところが、心の落ち着きと幸福には、ゆっくりした、規則的な呼吸が伴われます。
歓喜の激発は、実際には、苦しみの一つと同じくらい苦しいです。そして、双方は、乱れた呼吸が伴われます。
現実の安らぎは、幸福です。
喜びは、幸福からもたらされません。
心は、実践によって良くなります。そして、ちょうど、かみそりの刃が、革砥でとぐことによってとがらせるように、より良くなります。
心は、次に、内的な、または、外的な問題により上手に取り組むことができます。
もし、熱望する人が、最初の二つの方法、そして、状況によって(年齢のせいで)、第三の方法に気質的に適さないのであれば、彼は、Karma Marga(良い行い、例えば、社会奉仕をすること)を試みなければなりません。
彼のより気高い生得の傾向は、いっそう明らかになり、彼は、個人的な感情のこもらない喜びを源から引き出します。
彼のより小さな自分自身は、積極的に主張するほどでなく、その良い側面の拡大という好機を持ちます。
人は、三つの前述の道の一つを適切に身につけられるようになります。
彼の直感もまた、このただ一つの方法によって、すぐに発達するかもしれません。

【質問者】
思考の道筋、または、問いの連続は、自己催眠状態を引き起こすことができますでしょうか?
それは、分析不可能な、基本の、漠然と知覚された、見つけにくい「私」というただ一つの点を分析することを弱めないべきでしょうか?

【マハルシ】
はい。
それは、空、または、目もくらむほどの水晶、または、光の中へ熱心に見詰め続けることに本当に似ています。

【質問者】
心は、その点に固定させることができますでしょうか? どのようにして?

【マハルシ】
もし、心が、散漫にさせられるならば、敏速に「これらの散漫にする思考は、誰に生じるのか?」という問いを尋ねなさい。
それは、敏速に、「私」という点をあなたに思い出させます。

【質問者】
心は、ハートの中で、どのくらいとどまる、または、入った状態を保たれることができますでしょうか?

【マハルシ】
期間は、実践によって延びます。

【質問者】
期間の終わりに何が起きるのでしょうか?

【マハルシ】
心は、現在の普通の状態に戻ります。
ハートの中で一つである状態は、知覚されたさまざまな現象によって、元の場所に戻されます。
これは、出て行く心と呼ばれます。
ハートに行く心は、活動していない心と呼ばれます。

【質問者】
この過程すべては、ただ知的なだけか、主に感情を表すのでしょうか?

【マハルシ】
後者です。

【質問者】
心がハートの中にあるとき、どのようにして、すべての思考がやむのでしょうか?

【マハルシ】
意志の力によって、その趣旨で、師の教えの真実に強い信頼とともに。

【質問者】
この過程の長所は、何でしょうか?

【マハルシ】
(a)意志の克服。つまり、集中の発達。
(b)情熱の克服。つまり、平静の発達。
(c)さらなる徳の実践。つまり、(samatva)すべてに対し平等。

【質問者】
なぜ、人は、思いも寄らない点で考えることによって、この自己催眠を採用するべきなのでしょうか?
光の中にじっと見詰めることか、呼吸を保持することか、音楽を聴くことか、内的な音を聞くことか、神聖な音節(Pranava)の復唱か、他のmantrasのような他の方法を採用してはどうでしょうか?
 *GROSSARY:Pranava:another term for OM:オームに対するもう一つの表現

【マハルシ】
光をじっと見詰めることは、心をまひし、当分の間、意志の強梗症を引き起こし、変化なく続く恩恵をまだ獲得していません。
 *強梗症:感覚喪失、硬直などのヒステリー症状
呼吸制御は、当分の間だけ、意志を無感覚にします。
音を聞くことは、mantrasが神聖で、浄化するためのより高い力の助け獲得し、見解を高めない限り、同様の結果を引き起こします。

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ookuwa

Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2018.01.22 マハルシの年表
2016.03.13 Talksなどのまとめ
2014.12.22 マハルシの文献
2014.02.15 真我の探求方法



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