ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
真我の探求方法
マハルシ(モノ3つ合成)


心の源に没入するためには、念仏のように「私は誰か?」と唱え続けたり、対象物に集中し瞑想したり、火を見続けたり、沈黙し続けたり、考えることをやめたり、心をとめたり、あるがままであり続けたり、善行を繰り返したり、呼吸を統制したり、「無」であり続けるなど、いろいろな方法があります。

が、マハルシは、もっとも良い方法は、「『私』が生じる源を探り求めること」だと言われています。

マハルシの「真我の探求」方法は、
「心を強くし、心が静まったら、『私』の源を探る。源を探り求めたら、源を感じ続ける。日常生活の中で常に続け、源にすべてを明け渡し、真我が『私』をとけ込ませてくれるまで感じ続ける」
と理解しました。
 *真我探求は、心による、あるいは知的な「探究」ではなく、
   献身的な「探求(探り求める)」である

柳田先生に教えていただいた「真我の探求」方法に、これまでいろいろな方に導かれて気付いたことなどをアレンジし、さらに私の体験談をプラスした「真我の探求」方法を記します。
 *2008年9月17日記入、2019年7月13日読みやすいよう修正

睡眠を十分とり、できるだけ穏やかな環境で、心を静めます。
心を静めようとしている間、いろいろな想念が生じると思います。
 *想念:心の中に浮かぶ思い、考え

想念が生じたとき、どこから想念が生じるのか注意深く探ります。
注意深く探れたとき、想念が一時的に消えます。
ですが、いったん消えた想念、なぜかまた生じます。

想念が生じにくくなるまで、何度も何度もこの作業を行います。
想念が生じにくくなったら、ゆっくりと、穏やかに、「私は誰か?」と思います。

「わ」が生じる先に意識を集中し、どこから「わ」が生じるのかを探ります。
最初、「わ」は、頭の中で生じるかもしれません。
ですが、何度も探っていると、少しずつ、生じるところが変わっていきます。

ハートにたどり着けるまで、けっこう時間がかかると思います。
毎日コツコツ、根気よく続けることが大事です。
「わ」になる前の、「わ」が生じる先を探れるようになると、ハート(右胸)にたどり着けると思います。

たどり着いた当初、静寂に包み込まれます。
が、しばらくすると、また想念が生じます。

で、「私は誰か?」(または、「わ た し」)と思い、「わ」が生じる先を探ります。
何度も繰り返していると、静寂が続くようになってきます。

静寂(manolaya:心が、ハートの中でとけること)、とても居心地が良いため、そのまま居続けようとしてしまいますが、その静寂(何もない、空、無)に魅了されず、とらわれず、そこにとどまらないよう、さらに「わ」が生じる先(「私」が生じる源)を探ります。
 *ここで、光を見たり、何かを感じたりするかもしれませんが、それらはすべて錯覚です

探り続けて見つけた源が、本当に源なのかどうか見極める方法がありません。
とにかく、探れなくなるまで探り続け、「あぁ、これ以上探れないなぁ」と思ったところが、当面の源です。
源にたどり着いたら、探り続ける努力をやめ、そこにとどまり続けるようにします。

とどまり続けるためには、

1.執着をできるだけ手放す(つなぎ止めているものをもやいから解き放す)
この段階では、かなり「執着」がなくなっているはずですが、「根深い執着(vasanasamskara)」は、まだ残っています。
 *vasana:現世の心の習慣。潜在的な傾向、または、印象
        もっとも微細な形でハートの中に囲い込まれている
   samskara:生まれながらの傾向。過去から続いている心の印象(傾向と気質)
なので、「一時的」にすべての執着を手放すのです。
「ずっと」手放すことはかなり難しいのですが、「一時的」であれば思ったより簡単にできると思います。

2.本当に信じる
「真我が『ある』こと」を、そして「マハルシの教え」を。

3.途切れなく一点(源)に集中し続ける

4.記憶にとらわれない
「吸気」は、記憶を呼び起こします。
突然生じる記憶(過去)にとらわれると、「私」がハートから飛び出してしまいます。
記憶にとらわれないよう十分注意します。

5.息にとらわれない
息を吸うときに集中が途切れやすいです。
 *息(特に呼気)が、源を覆い隠している?

源が感じられるようになったら、源に意識を集中するのではなく、思考を働かせず、源を感じ続けるようにします。
寝る前、目覚めるとき、仕事中、とにかく、いつも感じ続けられるようにします。
 *目覚めと夢見の合間に真の「私」がある
   不滅の意識 196ページ
    人が目覚めたとき、実際に外部の世界に十分気付くようになる前に、その合間、時間、空間のないことが
    真の「私」の状態

感じているときに、思ったり・考えたりすると、源が感じられなくなります。
源は、記憶・息・想念などによって覆われているようです。
源に没入したとき、思ったり・考えたりすることをやめたとき、「知性」、「理性」はなくなり、「感じること」のみになります。
感じ続ける密度を上げ、絶え間なく、隙間なく、感じ続ける。

「感じるだけ」になれたとき、遮るもの(記憶、息、想念など)はなくなります。

そして、源にすべてを明け渡すことができるよう努力し続けます。
「明け渡し(帰依:bhakti:devotion)」は、とても難しいです。。。
なので、執着を手放すときと同様に一時的に明け渡します。
一時的な明け渡しを何度も繰り返し、明け渡している状態が長く続くよう努力し続けます。

この状態は、おそらく、laya(心と息が、ハートの中でとけること)だと思います。
ここでも、光を見たり、何かを感じたり、身体を感じなくなるかもしれませんが、それらはすべて錯覚です。
とけ込まなければならないのは、ハートではなく、ハートの中の源。
 *感じられるようになったころは、源は、ハートの中の一点です
源から、「私」という思考が最初に生じ、心となり、粗雑な身体が現れ、世界が現れる。
 *「私」という思考:最初に生じる思考(心)
源を探り、とどまり(感じ)続けられるようになると、心がハートにとけ込む。
努力し続けることで、心と息がハートにとけ込む。

どれだけ努力をしてもvasanasamskara)が残っているため、源にとけ込むことはできません。
ただ、努力し続ければ、vasanaを弱らせることができます。
 *samskaraは、無理っぽい。。。
真我が、弱ったvasanasamskara)を消滅させ、「私」をとけ込ませてくれるまで、ただひたすら努力し続ける。

源で溺れそうになったとき、あがかず、息をしようとせず、そのまま溺れる。
溺れる直前に感じる、未練(執着)・恐怖にとらわれることなく、息を源に明け渡す。

すべてを源に委ねきれたとき、源に没入し続けられたとき、真我が、「私」との境を取り払い、真我が、「私」にとけ込んでくる。

「真我探求は、源へのバクティである」

今の私は、ここまでです。

ここから先は、「あるがまま」などの日本語文献に記載されていましたので、私なりに理解した内容を記します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

個人としての感覚が一時的に作用を止めたこの感覚は、初めのうちは断続的であるかもしれないが、実践を繰り返すことによって、それは、容易に達せられ、維持できるようになる。
「真我の探求」がこの段階に達すると、努力を続けていた「私」は一時的に存在をやめ、個人的な努力は、もはや不可能となり、努力なしに真我があらわになりだす。
「私」という思考は、真我にとけ込んでいるのではなく、真我に没入しているだけなので、周期的に主張してくる。
これはまだ、「真我の実現」ではないが、この状態を繰り返し「体験」することにより、「私」という思考を起こす原因である「vasana」が徐々に弱まってくる。
そして、「vasana」の影響力が十分弱まったとき、真我が、残存している、「vasanasamskara」を完全に破壊する。
「私」という思考は、真我にとけてなくなり、二度と再び立ち現れることはなくなる。

これが、最終的な、覆すことのできない「真我の実現」である。

 *Talks
 *Talks(独り言)
 *真我探求に導く瞑想(V.ガネーシャン)


181224_手描きのシュリー・チャクラ(144)
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テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

この記事に対するコメント
マハルシの教え
TOMさん

すみません。
m(_ _)m

ちょっと脱線し過ぎてしまいましたね。
あと、スマホでコメントを書いていましたので、端折りもありまして。。。
(;^_^A
コメントいただいた内容に対し、僕の個人的な思いを書きます!

1.それは「空」では仏教だから「実在」と言いなさい。といったような哲学的な意味ですか?
→違います。また、哲学的ではないです。

2.それとも「源」には何かがあるんですか? そうであれば何があるんですか?
→何かがある と言った表現で表すことができませんが、何かがあります。空っぽではないです。

3.あなたは無意味な哲学論にはまってますね。
→「見るものを見る…」に対して のことでしょうか? これは、実体験なので、哲学論にはまっていませんよ!

4.マハリシは「それ」について「まさにそれは空である」と言って仏教者の見解をも完全に肯定していますよ・・・
→マハルシは、仏教者の見解を否定していませんし、僕もそのようにお伝えしていないと思いますが。。。
(;^_^A
僕がお伝えしたのは、「釈尊の教えとマハルシの教えは、根本的なところが違っている」ということです。

5.シャンカラの不二一元論だって仏教の影響が濃く、シャンカラは「仮面の仏教徒」と言われている。
→すみません、シャンカラのことはよくわかりません
m(_ _)m

6.「それ」が空であるか・・・
→「それ」というのが、ちょっとなんのことなのか。。。
「マハルシの教え」に記されている内容は、質問に対するお話し(回答)が多いです。
質問者には、いろいろな段階の方がいまして、マハルシは、質問者の段階に応じたお話しをされています。
一見矛盾しているようなお話しをされているところがありますが、それは、質問者が理解しやすいように、表現を変えられているからだと思います。
ただ、マハルシは本を書いていません。
マハルシがお話しされた内容を聞いた帰依者が書いています。
マハルシに確認していただいた後、出版されたものや、そうでないものもあります。
「TALKS」は、マハルシが50歳代のときにお話しされた内容(タミル語とサンスクリット)を熱心な帰依者「ムナガーラ・S. ヴェンカタラーミア」が記録し、マハルシが粗雑な身体を離れられたあとに出版されましたので、マハルシは本の内容を確認していません。
レコーダーで録音した内容を正確に記しているのではないので、本当にそのようにマハルシがお話しされかどうかわかりません。。。
σ(^◇^;;
あと、「TALKS」は英語で記されていますが、これを日本語に翻訳したときに、誤訳されているカ所がいくつもあります。
なので、何度も何度も出てくるお話しは、間違いないと思いますが、そうでないところは。。。
(;^_^A
とりあえず、TALKSの英語版を読まれると良いと思います。

7.空であるか無限の有であるか・・
→すみません、マハルシの教えに「無限の有」というのはなかったと思いますが。。。
σ(^◇^;;

8.どっちが正しいとか間違っているとか言ってもしかたがない
→まぁ、そうでしょうねぇ。僕もそう思います。

9.自分が疑問だったのは・・・空白を「ラヤ」と言って否定する事です。
→想念のない状態を維持できない質問者に対しては、想念のない状態を肯定すると思います。
また、想念のない状態を維持できる質問者に対しては、瞑想中に現れる空白を否定というか、そこに留まらないようにお話しされていたと思います。

10.それらには何の違いがあるのか、
→違いはないと思います。その状態に留まらず、「私」という思考が生じる源を探り求め続けることが「マハルシの教え」です。

11.探求のない単なる空白を真我探求とは違うものと言っているのか、そうではないのか
→マハルシの教えの「真我探求」は、「私」と言う思考の源を探り求め続けるという「行為」です。
単なる空白は「真我探求」ではなく、「真我」でもないです。
単なる空白は、その言葉通り、単なる空白だと思います。

【補足】
「真我」についてですが、本当は、「真我」と訳してはいけないと思っています。
TALKSの英語版で「Self」と記されていまして、柳田先生も「真我」と訳されていますので、僕もそうしていますが、「真我」にはいろいろな意味がありますので、この訳、ちょっと注意が必要です。
釈尊の教えは、「絶対なる(永遠不滅の)神」を否定しています。
が、マハルシの教えは、「Self=絶対なる(永遠不滅の)唯一の神」です。
なので、一つしかなく、それしかない ってのが、マハルシの言われる「真我」です。

お互い、いろいろとたいへんだと思いますが、頑張りましょうね!
ではでは (^_^)/~
【2017/06/27 11:16】 URL | ookuwa #cJKlNMNY [ 編集]


あなたは無意味な哲学論にはまってますね。マハリシは「それ」について「まさにそれは空である」と
言って仏教者の見解をも完全に肯定していますよ。マハリシが自分の見解と同じだと言っている
シャンカラの不二一元論だって仏教の影響が濃く、シャンカラは「仮面の仏教徒」と言われている。
「それ」が空であるか無限の有であるか、0であるか無限であるかといった事は単に言葉上の表現の
問題に過ぎない。どっちが正しいとか間違っているとか言ってもしかたがない。
自分が疑問だったのはマハリシが書物の中であるときは空や想念の無い状態を肯定し、またある時は
瞑想中に現れる空白を「ラヤ」と言って否定する事です。それらには何の違いがあるのか、探求のない
単なる空白を真我探求とは違うものと言っているのか、そうではないのか。といった事です。
【2017/06/27 06:18】 URL | TOM #- [ 編集]

釈尊とマハルシ
そうです!
源は、空ではないです♪
そこから、「私」が現れます!
「空」は、「なにもない」ってことですよね!
「実在」と言う日本語にはいろいろな意味があります。
マハルシの言われる「実在」は、その言葉通り、「実際に在る」です。
言い方を代えると、それのみが唯一あり続ける です!

「私」を見ようとしたり、感じようとしたりすると「空」になると思います。
マハルシの教えは、「私」と言う思いがどこから生じるのか探り求めなさい(探求)ってことです。

「私」は、見られるものであって、見るものではないです。
見るものを見る、源を見続けたとき、源もまた見続ける です!

釈尊の教えとマハルシの教えは、根本的なところが違っています。
また、釈尊の教えを元に創作された仏教は、いろいろなものがミックスされていて、ものすごく難しくなっています。
釈尊の教えや釈尊の教えを元に創作された仏教の用語をマハルシの教えにあてはめて理解しようとすると、袋小路に迷い込む可能性がありますから気を付けてくださいねぇ~

マハルシの教えは、単純です♪
単純過ぎて、深読みし過ぎる人がいます。
難しく考えず、毎日コツコツ探り続けていれば、いつか感じられるようになり、「私」の壁が希薄になり、真我が「私」にとけ込んできますよぉ~♪
(≧∇≦)
【2017/06/26 22:06】 URL | ookuwa #cJKlNMNY [ 編集]


それは「空」では仏教だから「実在」と言いなさい。といったような哲学的
な意味ですか?
それとも「源」には何かがあるんですか? そうであれば何があるんですか?
【2017/06/26 21:40】 URL | TOM #- [ 編集]

ラヤ
TOMさん
はじめまして!
コメントありがとうございます!
僕も、まだまだなので、あれなんですが。。。
(;^_^A
まぁ、ただ言えるのは、もう少し探ってみるといいかも ってことです。
なんて言うのか、「私」を見ようとしたり、感じようとすると、「空白」にとどまりやすいのかも。。。
「私」が生じるところを感じようとすると、「空白」ではないことがわかると思いますよぉ~
(*^_^*)
【2017/06/24 18:17】 URL | ookuwa #cJKlNMNY [ 編集]


はじめまして、自分も学生の頃ラマナ・マハリシを知って、それから、本にある瞑想を断続的に続けています。
自分の場合は劇的な事は何も起こらないですね~。ただ、ある時、自分の心(意識)の中には心しかない、
と思っていたのが、心の中には余白があるという事に気がつきました。それが私(胸のあたりの肉体感覚)
を見ている。或いは私はそれに映っている。その無限に広がる「余白」虚空のようなものが「源」であり、それを感じ続けていけばいい。という事でしょうか。それとも、それは「ラヤ」というものなのでしょうか。
【2017/06/24 17:03】 URL | TOM #- [ 編集]

マノラヤ
そうですねぇ、まず、「瞑想」とは、どのようなことをされたのでしょうか?

胸のふわふわ感が、どのようなことなのか、よくわかりませんが、僕は、最初の頃、右胸があたたかくなるような感じがして、ある時、突然、ハートの扉が開き、ハートから何かがあふれ出し涙が止まらなくなりました。

「マハルシの教え」には、ありませんが、まず、ハートの扉が開かないと、その中にある源を探り求めれないんじゃないかと感じています。
じゃあ、どうやってハートの扉を開くのか?
いろいろな方法があるみたいですが、僕は、「マハルシの教え」にある、「私」という思考の源、その一点への集中です。

ハートを感じ続けられるようになると、僕の場合は、「しゃきっとした」ではなく、静かになります。
心が止まって、自分という境がなくなり、まわりと同化?して、ただ、ここにあり続けるみたいな感じになります(すみません、うまく表現できません)。
(^_^;)

「マハルシの教え」に「悟り」はないです。
釈尊の言われる「悟り」は、「気付く(頭で理解する)」です。
http://ookuwablog.blog94.fc2.com/blog-entry-176.html
至福感は、源に没入したときに感じられる結果であって、目的ではないです。
至福感を求めようとすると、源に没入する妨げになると思います。
それどころか、ハートにも入れないのではないかと。。。
ハートに入るためには、いろいろな執着(欲)を手放す必要があるみたいですよ。
【2014/02/23 05:35】 URL | ookuwa #cJKlNMNY [ 編集]


つい、こないだ瞑想してから横になったときに
胸にふわふわした感じができて、それに集中すると
なぜかとってもよい気分になれて、なんどか集中する→よい気分を繰り返したのだけど
家人の野暮な声で嫌な気分になってそれが解けてしまったです。
これがハートでしょうか?夢かもしれませんが
そのときは横になって腕を組むというか、自分を抱きしめるように組んでいたのですが
もう一回やっても もうどうにもなりません。
もしあの気分が続くなら幸せのような気がします
続かなくても良いときに自立的にやれたらよいなと思います。できないんだけど…。
それとも本当のハートは 瞑想時のような感じでもっとしゃきっとした感じになるのでしょうか?あれは調子にのったときに高揚しただけで、悟りの障害になる何かでしょうか?どう思います?
【2014/02/22 23:46】 URL | まはらじゃ #- [ 編集]

ハート
まはらじゃさん、コメントありがとうございます。

「ラマナ・マハルシの教え」の翻訳本、読まれたことがありますでしょうか?
もし、ないようでしたら、読んでみてくださいね!
きっと、まはらじゃさんにとって、とても良い気付きになると思います!
★マハルシの文献★
http://ookuwablog.blog94.fc2.com/blog-entry-5.html
*「あるがままに」を最初に読まれて、次に「不滅の意識」が良いと思います

ハートは、左胸にある臓器(心臓)ではなく、右胸にある、「私」という思考が生じるところです。
★ハート(右胸)★
http://ookuwablog.blog94.fc2.com/blog-entry-249.html

「わ」とは、「わたしはだれか」と思おうとしてください。
で、その最初の「わ」が、どこから生じるのか探る ということです。
簡単な作業ですが、最初は、なかなかうまくいかないと思います。
根気よく続けていれば、その生じる先がハートに落ち着いてきます。
で、さらに続けていると、ハートの中にある、源にたどり着けると思います。
時間がかかると思いますが、そうなったとき、心がとても落ち着き、いいカンジなれます。
頑張ってくださいね!
(*^_^*)
【2014/02/18 10:55】 URL | ookuwa #cJKlNMNY [ 編集]


ハートって左胸にあるのではないの?
あと(わ)ってどういうこと?
【2014/02/18 10:29】 URL | まはらじゃ #- [ 編集]

(*^_^*)
とても良いコメントをいただき、ありがとうございます!

僕は、かなりの未熟者なので、真我としてあり続けたことがありません。。。

なので、いただいたコメントにお答えすることができませんが、お互いが目指す方向は同じではないかと感じました!

ありのままにあり続けられるよう頑張りましょうね!
(⌒▽⌒)
【2010/02/17 00:09】 URL | ookuwa #cJKlNMNY [ 編集]

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このコメントは管理人のみ閲覧できます
【2010/02/16 18:00】 | # [ 編集]


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Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2020.05.27 マハルシの文献
2019.07.13 真我の探求方法
2019.05.25 マハルシの年表
2016.03.13 Talksなどのまとめ



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