ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
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真我探求に導く瞑想(V.ガネーシャン)
柳田先生が、勉強会で使用されたテキストの内容を若干修正して記載します。
*ひょっとしたら、1998年に雑誌「とんぱ」に掲載された記事の元原稿かもしれません

<「私は誰か」 真我探求に導く瞑想:シュリー・ラマナ・マハルシの方法>
執筆:V・ガネーシャン

ラマナ・マハルシが、今、私たちを導いています。
この言葉は、マハルシのハートから出て、あなたのハートに伝えられているものです。
あなたを導いているのは、あなた自身の形をしているマハルシ以外の誰でもありません。
なにか仲介手段を用いる必要も余地もないのです。
ただ、じっと注意していてください。

あなたは、ただ耳を澄ませているだけです。
誰かから何かを聴いているのではありません。
言葉で伝えられてはいますが、それは単に言葉で述べられたものでも、書かれた文章でもなく、あなたに力強く伝えられている、あなた自身という存在の真の状態に他ならないのです。

楽な仕方で座ってください。
何かを心に描いたり、頭で考えたり、目で見ようとしてはいけません。
ものごとが起こるに任せておいて、何かが起こってくるかを注意して、じっと見ていてください。

 あなたはある。

不意にさまざまな想いが襲ってきます。
でも、気にすることはありません。
また、何かをしようとしてもいけません。
起こってくるままにしておいてください。
一つ、また一つと想いが続けてやって来ます。
理解したり、分析したりといった努力をしないようにしてください。
また、それを制限したり、拒んだり、非難したり、明らかにしようとしたりしないで、想いが襲ってくるままにしておいてください。
ただただ、注意していてください。
緊張したり、固くなったりしないで、くつろいだ気分でいてください。

「ちょうど、そうしている、その時、起こってくる一つの想いをとらえてください」
「そうです」

その想いが、次に起こってくる想いによって、すぐに押し流されないようにしてください。
あなたがしなければならないことは一つ、その想いに忠実であることです。

「例えば、『私はロサンゼルスへ行きたい』というような簡単な想いです」

それに対して、中立的で偏らない態度を取ってください。
その想いのままでいてください。
その意味にとらわれないようにしてください。
その想いが伝えることの背後にある感覚に反応しなようにしてください。
あなたは、ただ単にそれを見ているのです。
この時、他の想いが起こってこないようにしてください。

 いま
 あなたのすべての注意力を集中して
 そして
 尋ねてください

「誰のところにこの想いがあるのですか?」と。
そして、それをしっかりと理解してください。
 あなたが質問しているのです。
 そして、それは、あなた自身に向けられているのです。
だれか他の者でも、何か他のことでもありません。
あなたが、あなた自身に答えているのです。
だから明瞭な答えは、

 「私に」です。

それを感じ取ってください。
そこに2つのものが含まれていますか?
1つが「あなた」として、もう1つが「想い」として?
どうですか?
そう、その質問は、あなたによって、あなた自身に対してなされているのです。
それを感じ取ることによって、しかし、それ以上の動作をするのでもなく、それを考えようとせき立てられ、焦るのでもなく、はっきりと理解してください。
それは、単純な事実なのです。

 さあ

 待ちなさい

もう一度すべてのあなたの注意を集中して!
そうして、
「私に」を知る必要に、鋭く注意を集中してください。
そうです。
あなたのすべての感受性でもって、注意力と一点への集中力をもって、尋ねてください。

 「私は誰か?」と。

自分の中を一心に注視してください。
すべての動きは止まります。
想いもなく、あなたもなく、
ただ、
 沈黙
 不動
 静寂

みなさんが、この真我探求の手ほどきを聞く前に、ここで耳を傾けてくれることを強調するのは、私たちは、まず自分の内に「沈黙」を経験しなければならないからなのです。
そのような経験が、先へ進むために不可欠なものなのです。
ラマナ・マハルシは、これを、本当の「私があること」の「先取り」と呼んでいます。
それは、私たちそれぞれの内にある沈黙であり、私たちの日常の背後にあって、それを超越し、すべてを含むものであり、エゴイスティックな「私」という感覚、私を変えていく一見とらえどころのないものなのです。
ただの「私」の背後にある沈黙の状態を指し示すためには、どんなに多くの言葉による説明も無益であることがわかります。
努力することは、それ自体としては、皮肉にもいろいろな観念と、より一層の説明の迷路に人を陥れるだけなのです。
反対に、巧みな言葉によってではなく、経験のその中に、直にあることによって、この沈黙にそれとなく気づくと言うことが、言葉による一切の説明なしに、あなたがそれを追求し、とらえることのできるただ一つの方法なのです。

言葉や文章や陳述によるすべての努力がほとんど役に立たないことは、はっきりしています。
なぜなら、沈黙の経験は、言葉や文章といった枠の中では決して得られない、という単純な理由からです。
ですから、ヴェーダは、それを「言葉では言い表せないもの」と断言しています。

直接に経験するということは、それがいかに短い時間であれ、微弱なものであれ、またわずかなものであっても、次に進むためのたいへん重要な真の理解力を身につけさせてくれるのです。
 沈黙に初めて気づき、味わうことは、ただの出発点に過ぎません。
 想念が続いて襲ってきます。
 さあ、何をすれば良いのでしょうか?

あなたは、続いて起こってくるすべての想念を受け入れなければなりません。
「この想念は、誰に起こってくるのか?」、「私に」という問いかけを辛抱強く続けてください。
それ以外のどんな方法でもその想念に立ち向かい、それを遠ざけ、静めようとしてはいけません。

そして、「私は誰か?」というカミソリのような鋭い姿勢で沈黙に到達するのです。

それを、1度、2度、3度と仮借なく繰り返してください。
忍耐が要求されます。
一層の忍耐が必要とされるのです。
「真我の探求に近道はありません。すべてのコースを耐え抜かねばなりません」
この忍耐強く、という快くはありませんが、必要不可欠なマハルシの答えが、実は沈黙への道をたどる上での並はずれて大きな励ましなのです。
この道においては、「不断の用心深さが、求道者の払わなければならない代償である」とマハルシは言っています。

沈黙は、内部からあなたを導くでしょう。

もはや気まぐれな心に頼ったりするのは止めてください。
心というものは、沈黙という貴重な宝石をあなたから奪い取る本当の「泥棒」なのです!
あなたの注意を沈黙に向け変えてください。
「どのように」、「なぜ」、「いつ」というように際限なく問いを発する疑い深い心に、注意を奪われてはいけません。
真我の探求を通じて、いったん想念が抑制され、制限された心は、これらの浅はかな質問を発しようとします。

そのような心に立ち向かおうとしないで、心が立ち現れてきた時は、いつでも、「誰が」と「どこから」という根本的な質問を発してください。
賢者たちは、「どのように」と「なぜ」という質問を発するのを忌み嫌います。
そして、彼らは、「誰が」と「誰のところに」という質問を自ら発する人を賞賛します。

想念というのは、一つの動きです。
沈黙は、想念の生まれる場所です。
それは、アーチャラ、つまり不動です。
想念は、無知であり束縛です。
沈黙は、智慧であり解放です。
想念に服従させられると束縛されます。
想念がそぎ取られると沈黙が現れ自由になります。
想念と共にいると悩まされます。
沈黙と共にいると常に幸福です。

考えたり、努力したりすることは不可欠ですが、沈黙は、あなた自身の努力のない、選択のない、自然な状態です。
「探求は、どれくらいの期間実行しなければならないのですか?」という質問は理にかなった大事な質問のように聞こえますが誤った質問です。
いったい誰が「私はどれくらいの期間、息を続けなければならないのですか?」と尋ねるでしょうか?
また、こんこような質問を発するあなたが、永久に息を止めようとあえてするでしょうか?

 沈黙は手段であり、同時に目標です。
 沈黙は始まりであり、同時に終わりです。

沈黙は、「我あり」なのです。
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テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

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ookuwa

Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2018.01.22 マハルシの年表
2016.03.13 Talksなどのまとめ
2014.12.22 マハルシの文献
2014.02.15 真我の探求方法



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