ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
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Talk 41(独り言)
<Talk 41(独り言)>

Talk 41

天国と地獄、神と悪魔、善と悪、夢見と目覚め、時間と空間、男と女、怒りと喜び。
源には、対象がない。
真我には、対象がない。
真我は、それらを超えてあり続けている。

真我は、達せられるものではなく、実現されるものでもない。
新たに始まるものは、終わりがあり、永遠ではない。
真我は、始まりもなく終わりもなく、いつも、常に、あり続けていて、それを覆い隠しているものを取り除くだけで感じることができるようになる。

「Be as you are」
「あるがままに」と訳すのが、もっとも適していると思うのですが、「今、ここ」とか「あるがまま」とかを超えているように感じていますので、「ある(真我)としてありなさい」と訳しました。

眉間は、瞑想の座。
ハートは、真我の座。
最初、「私」という思考の源は、右胸(ハート)にあるように感じます。
見る側によって、ハートの場所が変わります。
粗雑な身体側から見たとき、ハートは右胸に。
源側から見たとき、ハートは至る所に?
内から外は覆われていて見えませんが、外から内はまる見え?
真我は、いつも「私」に気付いている。

japahatha yoga(呼吸を保持)、pranayamaは、助けの一つになる。
いつも必要ではないかが、その人の段階によって必要になる。
Vichara(知性を保持)は、pranayamaを上回る。
考えることをやめ、思うことをやめ、心を止め、呼吸を保持する。
「私」という思考の源を探し求める(知性を保持する)と、知性・理性はなくなり、感じることのみになる。
たき火をかき混ぜる棒が、いつしか燃えてしまうのと同じように、最後に残った知性はなくなり、本当の「私」があらわになる。
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テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

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Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2018.01.22 マハルシの年表
2016.03.13 Talksなどのまとめ
2014.12.22 マハルシの文献
2014.02.15 真我の探求方法



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