ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
Talk 57(独り言)
<Talk 57(独り言)>

Talk 57

Talksには、このような会話が多数記されています。
インドのことをよく理解していないと、質問の趣旨がわからないまま読み進むことになります。
Talksは、記されたときの背景を正しく理解することが重要です。
ただ、背景を理解することが「主」になり、マハルシの教えを理解するのが「従」になっては意味がありません。
僕は、インドのことをよく理解していないので、ヴェーダなどの用語説明をしているところは、できるだけ訳さないようにしています。
(;^_^A
が、今回は、少し頑張って訳してみました(わかりにくい訳で、申し訳ないです)。。。

マハルシは、ここでもいつもと同じように、根本原因であるvasanaを弱らせるための方法を話されています。
mananaを「熟考」と訳しましたが、ここは、「『私』という思考の源を探り続け、感じ続ける(探求)」と読み替えると、いつも通りの説明になります。

僕が、Talk 57を訳した理由は、
「探求」をし続けることによって、vasanaが少しずつ弱ってくるのですが、
「『探求』した直後、vasanaが勢いを増す」
というところです。
「探求」がうまくいけばいくほど、vasanaが勢いを増して表出してきます。
以前は、なぜだろうと思っていましたが、そういうものであることがここに記されていて、やっぱり、、、ってカンジでした。。。。
「探求」後は、本当に気を付けないといけません!

ここを訳したいだけだったのですが、仕事などが忙しいこともあり、ものすごく時間がかかってしまいました。。。
(;^□^)あはは… 


★直訳を少し読みやすく?修正★

一部の人たちは、「知識」に異なる段階があると考えます。
真我は、承知の上で、または、知らないで、始まりも終わりもなく続く永遠の直接的な知識、すなわち、常に実現されている です。
彼らは、「導師から真実を聞くこと」は、直接的な経験から得た知識であって、本から得た間接的な知識でないべきと論じます。
しかし、知識は、結果的に「悲惨さの喪失」をもたらすのですが、「導師から真実を聞くこと」だけでは、それをもたらしません。
彼らは、たとえ直接的な経験から得た知識でも、それは、揺るぎないものではないと言います。vasanaから生じることが、その弱々しい存在(不変でない)の原因です。vasanaが取り除かれたとき、知識は、揺るぎなくなり、実を結びます。

他の人びとは、「導師から真実を聞くこと」は、間接的な知識にすぎないと言います。

「熟考」によって、それは、断続的に直接的な経験から得た知識になります。
その継続に対する障害物は、vasanaです。それらは、「熟考」後、活力を強化されて生じます。
vasanaは、抑制されなければなりません。
そのような用心は、「私は、身体ではない」ということを思い出し、「熟考」の過程を経て持たれた直接的な経験から得た知識に固執することにあります。
そのような実践は、「絶え間ない熟考」と呼ばれ、vasanaを根こそぎにします。
それから、「人の自然な状態」をわかり始めます。
それが、確かな、「知識」です。

「熟考」の過程を経て持たれた直接的な経験から得た知識は、「悲惨さの喪失」をもたらすことができず、vasanaが「知識」を定期的に打ち負かすため、精神的な自由、すなわち、束縛からの解放に達することができません。
「熟考」の過程を経て持たれた直接的な経験から得た知識は、弱々しいです。そして、vasanaが、「絶え間ない熟考(私という思考の源という一点を感じ続ける)」によって根こそぎになった後、堅固になります。

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Talk 54(独り言)
<Talk 54(独り言)>

Talk 54

Selfを真我と訳しています。
真我と同じような言葉がいろいろあります。
「絶対的なもの(the Absolute)」は、その一つ(真我は、「もの」ではないですが。。。)。
あと、Brahmanも。
なぜ、すべてSelfで表さないのか?
よくわかりませんが、真我は、言葉で表すことができないため、いろいろな表現をされているのではないかと。

「私-私(I-I)」は、よく出てくる言葉です。
いつもは、「私-私」を、源からあふれ出す「至福」ととらえていますが、ここでは、「私-私」を、真我から最初に生じる、「私」という思考と。

知性(buddhi)は、自我の鞘。
ちなみに、意識は、真我の鞘(輝き)。

真我(Brahman)から、最初に「私」という思考(aham)が生じ、そして、知性(buddhi)、自我、粗雑な身体、世界が生じる。
知性(自我)が、「私」という思考を通り越して、真我を発見することはできない。
「私」という思考がなくなれば、知性(自我)もなくなり、そこに残るのは、あたり一面にあり続けている真我のみ。

真我から出た後、いろいろなものがたくさん現れます。
深い眠りの中では、粗雑な身体や世界を知覚しません。
粗雑な身体や世界は、目覚めている人のために存在していて、深く眠っている人に ではないです。
深い眠りの中は、幸福(至福)で満たされていますが、「私」は、没入しているだけで、とけ込んでいません。
「私」と真我を隔てる壁があり、夢見の状態になったとき、微細な身体が生じ、自我が生じる。

mantraを繰り返し言い続けたり、「私は誰か」と繰り返し言い続けたり、呼吸を制御したりすることは、心(集中力)を強くする役に立つが、真我(Brahman)にとけ込むことはできない。
真我は、いつも、ここにあり続けていて、どこか遠くのところにあって達せられるようなものではない。
「私」という思考の源を探り求める続けることにより、いつしか、真我が「私」にとけ込んでくる。

**********

真我探求は、どこにいてもできる。
まぁ、そう言われれば、それまでなのですが、僕は、最初のころ、このようなお話しを読んだとき、「マハルシは、家を捨てて、アルナーチャラに行ったじゃない!」 みたいなことを心の中でつぶやいていました。。。
(;^_^A
ここで仕事をしながら、いろいろなこと・ものに縛られながら、真我探求をするのではなく、仕事を辞め、誰にも邪魔されす、好きなだけ探求ができる、そういう環境で生きたい! って、強く思っていました。
が、今は、その思いはかなり薄れています。
そう、どこにいても一緒なんだ ってことに気付いたからです。
あと、山の中ではいい感じでも、ここに戻れば今まで通り ってのもなんだか。。。
僕は、アシュラムに一度も行ったことがありません。
どこにいても一緒なんだ と言いつつも、一度はアシュラムに行ってみたい! って欲は、なくなっていません。
(;^□^)あはは… 

nirvikalpa samadhiは、真我に没入しただけで、とけ込んでいない状態。
そこから出て、身体意識が戻ったとき、自我も再び現れ、至福が終わる。

sahaja samadhiは、真我にとけ込んでいる状態。「私」の最も初期の状態。
そこから出て、身体意識が戻ったとき、自我は現れず、至福が続く。

まぁ、なったことがないので、sahajaは、どうなるのかまったくわかりません。
ただ、真我が、「私」にとけ込んできた後、「私」の意志は、きっとなくなるんじゃないかって感じています。
あれこれしたいとか、欲しいとかの感情が起きなくなる?
あるのは、ただ、真我の意志のみ?
なんというのか、自分が自分でなくなりそうで、ちょっと怖いです。。。
没入するだけなら、戻って来られますが、とけ込んでしまうと、戻って来れません。
「私」の自由意志は、真我の意志になる。
(ー'`ー;) ウーン、、、僕にはまだムリですね。
今のところ、nirvikalpaが、ベストです!
(*^_^*)

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Talk 53(独り言)
<Talk 53(独り言)>

Talk 53

眠っているとき、特に夢のない深い眠りのとき、私もなければ、世界もない。
目覚めたときに、夢を見ていなかったことに気付く。
目覚めるときに、「私」という思考が生じ、その後、いろいろなものが生じる。
body-consciousnessを「身体意識」と訳しましたが、この粗雑な身体も目覚めてから生じる。
「ある特定の時」という表現は、明らかに、向こう(真我)側からの表現だと思います。

「夢のない深い眠り」、マハルシの教えで、よく出てくるお話しです。
僕は、このお話し、最初は受け入れませんでした。
深く眠っていたときは、粗雑な身体に「気付いていない」だけで、「ない」わけではないのではないか?
「目覚めた後、この身体が生じる」のではなく、「気付く」じゃないのかって。
子供が寝ている姿を見て、「ない」じゃなくて、「ある」だよなぁ~ って。

まぁ、これは、こちら側視点ですね。
向こう側視点だと、「気付く」じゃなくて、「生じる」ってことなんでしょう。

ここは、大事なとこじゃなくて、大事なのは、このあと。
この前段階のお話しにとらわれると、マハルシが何を伝えようとしたのかわからなくなります。
生じるものは、いつかなくなる。
始まりがあるものは、終わりがある。
目覚めたとき、最初に生じるのは、「私」という意識。
 *いつもは「thought(思考)」と記されていますが、今回は「consciousness」
それは、いつかなくなります。
「私」という意識がどこから生じるのか、その源を見つけなさい。
そうすれば、始まりも終わりもない絶対的な意識(真我)を実現します。

「真我を実現するためには、どのようにすればよいでしょうか?」と質問されたとき、「実現するような真我はありません」と答えられるときがあります。
質問者の段階に応じて、異なる回答をされています。
何度も翻訳本を読んでいると、だんだん、わかるようになってくると思います。

源を見つけただけでは、真我としてあり続けることはできないのですが、この質問者に対しては、「見つけなさい」までです。


「senseimpression」を感覚印象と訳しました。
「senseimpression」って英語は辞書になく、おそらく、「sense impression」か「sense-impression」のことだと思います。
この意味は、よくわかりません。。。
(;^_^A

また、「仏教徒の見解(The Buddhist idea)」ってのも、さっぱり。。。
日本の仏教は、釈尊の仏教(原始仏教)とは違っています。
ここで言う「仏教徒の見解」は、何を指すのか?
まぁ、ここもとらわれるとこではないのですが。。。
(;^□^)あはは… 

マハルシの教えには、よく「印象(impression)」という言葉が出てきます。
これは、「vasana(現世の心の習慣。潜在的な傾向、または、印象)」の説明で出てきます。
この世に生まれてから獲得したのが、vasana
この世に生まれる前、前世で獲得したのが、samskara
samskaraは、生まれながらの傾向。
vasanaは、これを元に、現世で獲得した傾向。
マハルシは、この二つ、自分ではなくすことができない と説かれます。
源に没入し続けることによって、真我がなくしてくれる と。

ここでマハルシの言われた「印象」は、vasanaとは関係なさそうです。
前半部分の意味は、よくわかりません。。。
「深い眠りの中では、世界は認識されません。それから、それは、眠っている人のためにではなく、存在します」
世界は、目覚めている人のために存在していて、深く眠っている人にではない。

この2つの質問に対し、前半部分の回答は、重要ではありません。
重要なのは、後半部分。

「私」が生じる源を見つけだしなさい。
ただそれだけです。

マハルシの教えは、とてもシンプルですが、前半部分にとらわれると、とても複雑なものになります。
(*^_^*)

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Talk 52(独り言)
<Talk 52(独り言)>

Talk 52

「seat」を「座」と訳しました。
いろいろな意味があるのですが、「(活動の)所在地、中心地」とか、「(体の機能・病気の)所在地、源」とか。

ハートは、左胸にある臓器(心臓)ではなく、右胸にある、「私-私」が生じるところ。

ハートについては、いろいろなところで出てきますが、Talk 29が、わかりやすいんじゃないかと思います。

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Talk 50(独り言)
<Talk 50(独り言)>

Talk 50

「帰依」という表現をされていますが、「探求」も同じです。
「帰依」を「探求」に読み変えますと、

「私」という思考の源を探り求め、そこに居続ける(そこを感じ続ける)努力をし続けると、源(真我)に没入できるようになる。
源に没入し続けられるようになると、いつしか真我が、「私」をとけ込ませてくれる(真我が、「私」にとけ込んでくる)。

滴(私)が、大洋(真我)にとけ込むことは誰もが知っていますが、大洋(真我)が、滴(私)にとけ込むということは、少数しか知りません。

真我に没入し続けられるようになったとき、真我が「私」をとけ込ませてくれる。
そのとき、「私」と真我を隔てる「境」を真我が取り払い、とけ込んでくる。

「真我が、私にとけ込んでくる」

このお話しを読むまで、このようなことが起きるとは思いもしませんでした。
マハルシ、本当にすごいです。
おそらく、マハルシが真我にとけ込まれたとき、このようなことが起きたのでしょうねぇ。
なんというのか、この現象、いつ起きるのかわからない。
まぁ、僕の現世では起きないと思いますが、真我は気まぐれ?なので・・・
見る者を見続けていると、見る者の感覚が伝わってくる、今、とってもいい感じです。
(*^_^*)

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体



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ookuwa

Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2020.05.27 マハルシの文献
2019.07.13 真我の探求方法
2019.05.25 マハルシの年表
2016.03.13 Talksなどのまとめ



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