ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
シュリーチャクラ

181224_手描きのシュリー・チャクラ(144)


アルナーチャラ便り 2018年12月8号に、ハートを熱くする、とてもすてきな絵が掲載されていました。
1920年頃に、マハルシが、女性帰依者ヴェヌアンマルのために描かれたものだそうです。
 *この絵をアップすることは、ダムール貴子さまの了承を得ています!

この絵を眺めていたところ、ハートの中に入り込み、ハートの中のハートが輝き始めました。
しばらくすると、ハートの中のハートに吸い込まれ、心が とまりました。

とても良い感じです!

いつもこの絵が、ハートの中で輝き続けますよーに!
(*^_^*)


<TALK 405より抜粋>
シュリー・チャクラに関して尋ねた人に、マハルシは以下のように応えています。
「シュリー・チャクラには深い意味があります。聖なる音節が記された43の角があります。これを礼拝することは、精神集中の手段となります。外へとさまよい出す心の傾向は、抑えて内側に向けねばなりません。すべて名前と形を持つ外的な対象へのこだわりは、心の習性です。名前と形を象徴的な精神的概念としたのは、心を外的対象から逸らして、心自体の内に留まらせるためです。偶像、マントラ、ヤントラは、どれも内に向けられた心への糧なのです。こうしてやがて、精神集中がなされるようになり、後には自動的に至高の境地に至るのです」


Talk405



テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

真我探求に導く瞑想(V.ガネーシャン)
柳田先生が、勉強会で使用されたテキストの内容を若干修正して記載します。
*ひょっとしたら、1998年に雑誌「とんぱ」に掲載された記事の元原稿かもしれません

<「私は誰か」 真我探求に導く瞑想:シュリー・ラマナ・マハルシの方法>
執筆:V・ガネーシャン

ラマナ・マハルシが、今、私たちを導いています。
この言葉は、マハルシのハートから出て、あなたのハートに伝えられているものです。
あなたを導いているのは、あなた自身の形をしているマハルシ以外の誰でもありません。
なにか仲介手段を用いる必要も余地もないのです。
ただ、じっと注意していてください。

あなたは、ただ耳を澄ませているだけです。
誰かから何かを聴いているのではありません。
言葉で伝えられてはいますが、それは単に言葉で述べられたものでも、書かれた文章でもなく、あなたに力強く伝えられている、あなた自身という存在の真の状態に他ならないのです。

楽な仕方で座ってください。
何かを心に描いたり、頭で考えたり、目で見ようとしてはいけません。
ものごとが起こるに任せておいて、何かが起こってくるかを注意して、じっと見ていてください。

 あなたはある。

不意にさまざまな想いが襲ってきます。
でも、気にすることはありません。
また、何かをしようとしてもいけません。
起こってくるままにしておいてください。
一つ、また一つと想いが続けてやって来ます。
理解したり、分析したりといった努力をしないようにしてください。
また、それを制限したり、拒んだり、非難したり、明らかにしようとしたりしないで、想いが襲ってくるままにしておいてください。
ただただ、注意していてください。
緊張したり、固くなったりしないで、くつろいだ気分でいてください。

「ちょうど、そうしている、その時、起こってくる一つの想いをとらえてください」
「そうです」

その想いが、次に起こってくる想いによって、すぐに押し流されないようにしてください。
あなたがしなければならないことは一つ、その想いに忠実であることです。

「例えば、『私はロサンゼルスへ行きたい』というような簡単な想いです」

それに対して、中立的で偏らない態度を取ってください。
その想いのままでいてください。
その意味にとらわれないようにしてください。
その想いが伝えることの背後にある感覚に反応しなようにしてください。
あなたは、ただ単にそれを見ているのです。
この時、他の想いが起こってこないようにしてください。

 いま
 あなたのすべての注意力を集中して
 そして
 尋ねてください

「誰のところにこの想いがあるのですか?」と。
そして、それをしっかりと理解してください。
 あなたが質問しているのです。
 そして、それは、あなた自身に向けられているのです。
だれか他の者でも、何か他のことでもありません。
あなたが、あなた自身に答えているのです。
だから明瞭な答えは、

 「私に」です。

それを感じ取ってください。
そこに2つのものが含まれていますか?
1つが「あなた」として、もう1つが「想い」として?
どうですか?
そう、その質問は、あなたによって、あなた自身に対してなされているのです。
それを感じ取ることによって、しかし、それ以上の動作をするのでもなく、それを考えようとせき立てられ、焦るのでもなく、はっきりと理解してください。
それは、単純な事実なのです。

 さあ

 待ちなさい

もう一度すべてのあなたの注意を集中して!
そうして、
「私に」を知る必要に、鋭く注意を集中してください。
そうです。
あなたのすべての感受性でもって、注意力と一点への集中力をもって、尋ねてください。

 「私は誰か?」と。

自分の中を一心に注視してください。
すべての動きは止まります。
想いもなく、あなたもなく、
ただ、
 沈黙
 不動
 静寂

みなさんが、この真我探求の手ほどきを聞く前に、ここで耳を傾けてくれることを強調するのは、私たちは、まず自分の内に「沈黙」を経験しなければならないからなのです。
そのような経験が、先へ進むために不可欠なものなのです。
ラマナ・マハルシは、これを、本当の「私があること」の「先取り」と呼んでいます。
それは、私たちそれぞれの内にある沈黙であり、私たちの日常の背後にあって、それを超越し、すべてを含むものであり、エゴイスティックな「私」という感覚、私を変えていく一見とらえどころのないものなのです。
ただの「私」の背後にある沈黙の状態を指し示すためには、どんなに多くの言葉による説明も無益であることがわかります。
努力することは、それ自体としては、皮肉にもいろいろな観念と、より一層の説明の迷路に人を陥れるだけなのです。
反対に、巧みな言葉によってではなく、経験のその中に、直にあることによって、この沈黙にそれとなく気づくと言うことが、言葉による一切の説明なしに、あなたがそれを追求し、とらえることのできるただ一つの方法なのです。

言葉や文章や陳述によるすべての努力がほとんど役に立たないことは、はっきりしています。
なぜなら、沈黙の経験は、言葉や文章といった枠の中では決して得られない、という単純な理由からです。
ですから、ヴェーダは、それを「言葉では言い表せないもの」と断言しています。

直接に経験するということは、それがいかに短い時間であれ、微弱なものであれ、またわずかなものであっても、次に進むためのたいへん重要な真の理解力を身につけさせてくれるのです。
 沈黙に初めて気づき、味わうことは、ただの出発点に過ぎません。
 想念が続いて襲ってきます。
 さあ、何をすれば良いのでしょうか?

あなたは、続いて起こってくるすべての想念を受け入れなければなりません。
「この想念は、誰に起こってくるのか?」、「私に」という問いかけを辛抱強く続けてください。
それ以外のどんな方法でもその想念に立ち向かい、それを遠ざけ、静めようとしてはいけません。

そして、「私は誰か?」というカミソリのような鋭い姿勢で沈黙に到達するのです。

それを、1度、2度、3度と仮借なく繰り返してください。
忍耐が要求されます。
一層の忍耐が必要とされるのです。
「真我の探求に近道はありません。すべてのコースを耐え抜かねばなりません」
この忍耐強く、という快くはありませんが、必要不可欠なマハルシの答えが、実は沈黙への道をたどる上での並はずれて大きな励ましなのです。
この道においては、「不断の用心深さが、求道者の払わなければならない代償である」とマハルシは言っています。

沈黙は、内部からあなたを導くでしょう。

もはや気まぐれな心に頼ったりするのは止めてください。
心というものは、沈黙という貴重な宝石をあなたから奪い取る本当の「泥棒」なのです!
あなたの注意を沈黙に向け変えてください。
「どのように」、「なぜ」、「いつ」というように際限なく問いを発する疑い深い心に、注意を奪われてはいけません。
真我の探求を通じて、いったん想念が抑制され、制限された心は、これらの浅はかな質問を発しようとします。

そのような心に立ち向かおうとしないで、心が立ち現れてきた時は、いつでも、「誰が」と「どこから」という根本的な質問を発してください。
賢者たちは、「どのように」と「なぜ」という質問を発するのを忌み嫌います。
そして、彼らは、「誰が」と「誰のところに」という質問を自ら発する人を賞賛します。

想念というのは、一つの動きです。
沈黙は、想念の生まれる場所です。
それは、アーチャラ、つまり不動です。
想念は、無知であり束縛です。
沈黙は、智慧であり解放です。
想念に服従させられると束縛されます。
想念がそぎ取られると沈黙が現れ自由になります。
想念と共にいると悩まされます。
沈黙と共にいると常に幸福です。

考えたり、努力したりすることは不可欠ですが、沈黙は、あなた自身の努力のない、選択のない、自然な状態です。
「探求は、どれくらいの期間実行しなければならないのですか?」という質問は理にかなった大事な質問のように聞こえますが誤った質問です。
いったい誰が「私はどれくらいの期間、息を続けなければならないのですか?」と尋ねるでしょうか?
また、こんこような質問を発するあなたが、永久に息を止めようとあえてするでしょうか?

 沈黙は手段であり、同時に目標です。
 沈黙は始まりであり、同時に終わりです。

沈黙は、「我あり」なのです。

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

swapnathyantha nivritthi
年が明けてから、徹夜を何度も繰り返し、怒ったり、焦ったり、騒いだり、本当にたいへんな毎日でした。
とりあえず一段落しましたが、苦労は報われず、またしても試練の一年になりそうです。。。
(-_-;)

shibaさんのブログ「アルナーチャラの聖者」にまたまた良いお話が!

僕は、これまで、3つの状態を「目覚め、夢見、夢のない深い眠り」ととらえていましたが、あぁ、なるほどと。

1.目覚め
  眼を開いて夢を見ている眠りの状態
  *心の活動がある
2.夢見
  眼を閉じて夢を見ている眠りの状態
  *心の活動がある
3.夢のない眠り
  夢を見ていない眠りの状態
  *心の活動がない→心の空白の状態
  *眼は開いていたり、閉じていたり

「3.夢のない眠り」は、Talksでは、「sleep、dreamless sleep、deep sleep、deep dreamless sleep」になっていて、総称して「夢のない深い眠り」ととらえていましたが、ちょっと違っていました。
総称した場合、「夢のない眠り」が正しいですねぇ。
(^_^;)

「三つの状態」は、「三つの眠りの状態」がより正確!

心を止めると、心の活動が止まる。
これは、「夢のない眠り」。
ここは、居心地が良いため、ここにとどまり続けようとしがちですが、ここではない。
ここでとどまり続けると「空」になっちゃうかも。
この三つの状態にとらわれることなく、その背面にある、「第四の状態」、そして、「第四を超えた状態」を! ってことですね。

Talksなどのまとめ」、前回の修正が、なんと2014年3月13日!
2年ぶりの修正です。
Shibaさん、いつもありがとう!
(*^_^*)

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

源の扉
151011_塩沢湖紅葉

先日、子供がプロの演奏会の前座で演奏することになり、会場へ。
ビデオを撮り終え、プロの演奏をまったりと聴いていたところ、ふと気付きました。

ひょっとしたら、「源」の扉を意識的に開けることができるんじゃないか? って。
(^_^;)

いつも、「私」が生じる源を探り求める(真我探求)とき、その一点に集中し続けます。
「五感の扉」を開けるためには、「一点への集中(焦点を合わせ続ける)」ではなく、「集中(焦点)をなくす」ってことに気付きました。

あぁ、これは、いけるかも! と、心地よいヴァイオリンとチェロの響きに身を任せつつ、「私」が生じる源に集中しながら、その集中をなくしてみました。

ハートの中にある「源」、集中しているときは、とても小さな点です。
集中をなくしたところ、点が少しずつ広がり、円になり、ドームのような覆いが現れ、それが、はじけました。

うまく表現できませんが、ハートの中に大きな穴が開いたカンジです。
穴の向こう側は、いつも感じている源。
そこは、赤系の色で、ゼリーのような状態になっていて、その中に入ろうとしても入れません。。。
で、そこから、何かがあふれることもありません。

あちら側も、こちら側も、ただただあり続けている。
何事も起きることなく、ただあり続けている。

とってもいい感じです。
(*^_^*)


shibaさんの「アルナーチャラの聖者」に、良いお言葉が!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

彼はただ師の言葉を実践し、次第に内に進めばいいのです。
師は「内」と「外」の両方にいます。
彼はあなたを内側に駆り立てるための状態を作り出し、同時に、あなたを中心に引き寄せるために「内部」を準備します。
そうして、あなたが中心に据えられるために、彼は「外」から後押しし、「内」から牽引します。

その全てを師に任せなさい。
無条件で彼に委ねなさい。
二つのことの内の一つが行われなければいけません-あなたが己の無力を悟り(気付き)、あなたを助けるより優れた力を必要とするために、あなた自身を委ねるか、もしくは、苦しみの原因を吟味し、その源の中へ入り、自ら(真我)に溶け込むことです。
どちらの道でも、あなたは苦しみから解放されるでしょう。
神またはグルは、彼自身を委ねた信奉者を決して見捨てません。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

すべてを委ねきることは、思ったよりたいへんなことで、これを実践し続けるのは、僕にはムリです!

「苦しみの原因」の源は、「私」が生じる源と同じ。
自分の意志で、「源」にとけ込むことはできないみたいですが、「源」の近くに居続けることは、努力すればできます!

「私は誰か?」と問うのは、最初の1回だけ。
問い続けることに意味はなく、問い続けても、誰も答えてくれません。
「私は誰か?」 の次は、では、「私」はどこから生じるのか?
そして、その「源」を探り求め続ける という行為に繋がります。

あれこれ考えて「探究」するのではなくて、物理的に「私」が生じる源を「探求」する。
「探究(考える)」ではなく、「探求(感じる)」。

「探求する」という一つの行為をし続けることで、それ以外のすべてを手放す。
「何もしない」という行為で、手放すのではなく、「探求する」というただ一つの行為をし続けることによって、それ以外の欲が少しずつ離れていく。
「手放す」ではなく、「離れていく」。

手放せる欲は、できるだけ手放し続ける。
根深い欲、潜在的な欲は、手放せないので、「少しずつ離れていく」っていうのが、とってもいいです!
(*^_^*)

心がハートの中にとけ込むと、静寂(何もない、空、無、一体感、永遠の空白)が訪れます。
マハルシは、「ここで立ち止まらないように」と言われています。
ハートの中は、とても穏やかで、静かで、居心地が良く、「善悪」がなく、そして、何もないように感じられます。
 *「善悪」は、ハートへの出入り口で生じるみたいです。

ハートは、「源」ではありません。
ハートの中に、「源」があり、それは覆いに覆われていて、感じにくくなっています。
ハートの中に入れたら、そこからさらに「源」を探り求め続ける。
「源」と言う一点への集中。
「源」への集中が極まってきたら、焦点をなくす。
「源」をただただ感じ続ける。
「源」を感じ続けることができたとき、きっと、「源」の中に没入できるようになると思います。
そして、出たり入ったりを繰り返しているうちに、「源」が「私」を吸収してくれます。

「マハルシの教え」は、シンプルですが、根気がいります。
この道は、「迷い」の入り込む余地のない、揺るぎない、確かな道です。

「源」に吸収されると、どうなるのかわかりません。
「吸収される」という「恐れ(壁)」があるうちは、吸収されないと思います。
「恐れ」をやめたとき、「私」はなくなり、「ある」だけになるのでしょう。
(^_^)

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五感の扉(続き)
「五感の扉」の続き。

月に1回、知り合いのおじいさんの自宅にお伺いして、気を送っているのですが、プチ気付きが!

気を送るとき、いつもは、焦点を合わせます。
ピンポイントで送った方が、気の出方が良いと思っていたからです。

眼の焦点をなくすと、眼の扉が開き、「源」があらわになります。
手の焦点をなくしてみたところ、手の扉が開きました。
で、続けてみたところ、手を感じなくなり、眼も、頭も、そして、身体も。
影のようになった身体に、「源」だけがあり続けている。

あぁ、、、なんだぁ、そういうことかぁ、、、 って。
(;^_^A

「マハルシの教え」のどこかに書いてあったような。。。
頭で理解しただけでは、やはり、イマイチ。
こうやって体験してみると、理解が深まります。
理解が深まると、刻み込まれます。
それが、当たり前になり、そのことについて考えたり、思ったりしなくなり、「源」をさらに感じやすくなります。

あれこれ考えたり、思ったりし過ぎると、それが、「源」の覆いに。。。
あれこれの欲をできるだけ手放し、手放せない欲は、手元に置いて、「私」という思考の「源」だけを感じ続ける。
仕事をしていても、リードを削っていても、子供に怒っていても、妻に怒られていても、いつも、源を感じ続ける。

「マハルシの教え」、簡単そうで、けっこうたいへんです。
(T_T)トホホ

「源」だけになれても、「私(個)」は、あります。
見る者を見続けたとき、見る者だけになりますが、「私」は、あります。
「没入」しただけでは、「私」はなくなりません。
すぐ、出てきてしまい、いつも通りに。。。

「私」が、「源」にとけ込むことはできないそうです。
「源」が、「私」をとけ込ませてくれたとき、「私」はなくなります。

覆いがなくなったとき、扉がすべて開かれ続けたとき、突然、吸い込まれるように、とけ込んでしまうのではないかと。

「私」がなくなると、身体は、どうなのるのか?
分離がなくなったとき、身体を維持できるのか?

そうなったことがありませんので、まったくわかりませんが、おそらく、身体はなくならないのでしょう。
な~んとなく、そう感じます。
(*^_^*)

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体



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ookuwa

Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2019.07.13 真我の探求方法
2019.05.25 マハルシの年表
2019.01.09 マハルシの文献
2016.03.13 Talksなどのまとめ



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