ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
真我の探求方法
マハルシ(モノ3つ合成)


心の源に没入するためには、念仏のように「私は誰か?」と唱え続けたり、対象物に集中し瞑想したり、火を見続けたり、沈黙し続けたり、考えることをやめたり、心をとめたり、あるがままであり続けたり、善行を繰り返したり、呼吸を統制したり、「無」であり続けるなど、いろいろな方法があります。

が、マハルシは、もっとも良い方法は、「『私』が生じる源を探り求めること」だと言われています。

マハルシの「真我の探求」方法は、
「心を強くし、心が静まったら、『私』の源を探る。源を探り求めたら、源を感じ続ける。日常生活の中で常に続け、源にすべてを明け渡し、真我が『私』をとけ込ませてくれるまで感じ続ける」
と理解しました。
 *真我探求は、心による、あるいは知的な「探究」ではなく、
   献身的な「探求(探り求める)」である

柳田先生に教えていただいた「真我の探求」方法に、これまでいろいろな方に導かれて気付いたことなどをアレンジし、さらに私の体験談をプラスした「真我の探求」方法を記します。
 *2008年9月17日記入、2019年7月13日読みやすいよう修正

睡眠を十分とり、できるだけ穏やかな環境で、心を静めます。
心を静めようとしている間、いろいろな想念が生じると思います。
 *想念:心の中に浮かぶ思い、考え

想念が生じたとき、どこから想念が生じるのか注意深く探ります。
注意深く探れたとき、想念が一時的に消えます。
ですが、いったん消えた想念、なぜかまた生じます。

想念が生じにくくなるまで、何度も何度もこの作業を行います。
想念が生じにくくなったら、ゆっくりと、穏やかに、「私は誰か?」と思います。

「わ」が生じる先に意識を集中し、どこから「わ」が生じるのかを探ります。
最初、「わ」は、頭の中で生じるかもしれません。
ですが、何度も探っていると、少しずつ、生じるところが変わっていきます。

ハートにたどり着けるまで、けっこう時間がかかると思います。
毎日コツコツ、根気よく続けることが大事です。
「わ」になる前の、「わ」が生じる先を探れるようになると、ハート(右胸)にたどり着けると思います。

たどり着いた当初、静寂に包み込まれます。
が、しばらくすると、また想念が生じます。

で、「私は誰か?」(または、「わ た し」)と思い、「わ」が生じる先を探ります。
何度も繰り返していると、静寂が続くようになってきます。

静寂(manolaya:心が、ハートの中でとけること)、とても居心地が良いため、そのまま居続けようとしてしまいますが、その静寂(何もない、空、無)に魅了されず、とらわれず、そこにとどまらないよう、さらに「わ」が生じる先(「私」が生じる源)を探ります。
 *ここで、光を見たり、何かを感じたりするかもしれませんが、それらはすべて錯覚です

探り続けて見つけた源が、本当に源なのかどうか見極める方法がありません。
とにかく、探れなくなるまで探り続け、「あぁ、これ以上探れないなぁ」と思ったところが、当面の源です。
源にたどり着いたら、探り続ける努力をやめ、そこにとどまり続けるようにします。

とどまり続けるためには、

1.執着をできるだけ手放す(つなぎ止めているものをもやいから解き放す)
この段階では、かなり「執着」がなくなっているはずですが、「根深い執着(vasanasamskara)」は、まだ残っています。
 *vasana:現世の心の習慣。潜在的な傾向、または、印象
        もっとも微細な形でハートの中に囲い込まれている
   samskara:生まれながらの傾向。過去から続いている心の印象(傾向と気質)
なので、「一時的」にすべての執着を手放すのです。
「ずっと」手放すことはかなり難しいのですが、「一時的」であれば思ったより簡単にできると思います。

2.本当に信じる
「真我が『ある』こと」を、そして「マハルシの教え」を。

3.途切れなく一点(源)に集中し続ける

4.記憶にとらわれない
「吸気」は、記憶を呼び起こします。
突然生じる記憶(過去)にとらわれると、「私」がハートから飛び出してしまいます。
記憶にとらわれないよう十分注意します。

5.息にとらわれない
息を吸うときに集中が途切れやすいです。
 *息(特に呼気)が、源を覆い隠している?

源が感じられるようになったら、源に意識を集中するのではなく、思考を働かせず、源を感じ続けるようにします。
寝る前、目覚めるとき、仕事中、とにかく、いつも感じ続けられるようにします。
 *目覚めと夢見の合間に真の「私」がある
   不滅の意識 196ページ
    人が目覚めたとき、実際に外部の世界に十分気付くようになる前に、その合間、時間、空間のないことが
    真の「私」の状態

感じているときに、思ったり・考えたりすると、源が感じられなくなります。
源は、記憶・息・想念などによって覆われているようです。
源に没入したとき、思ったり・考えたりすることをやめたとき、「知性」、「理性」はなくなり、「感じること」のみになります。
感じ続ける密度を上げ、絶え間なく、隙間なく、感じ続ける。

「感じるだけ」になれたとき、遮るもの(記憶、息、想念など)はなくなります。

そして、源にすべてを明け渡すことができるよう努力し続けます。
「明け渡し(帰依:bhakti:devotion)」は、とても難しいです。。。
なので、執着を手放すときと同様に一時的に明け渡します。
一時的な明け渡しを何度も繰り返し、明け渡している状態が長く続くよう努力し続けます。

この状態は、おそらく、laya(心と息が、ハートの中でとけること)だと思います。
ここでも、光を見たり、何かを感じたり、身体を感じなくなるかもしれませんが、それらはすべて錯覚です。
とけ込まなければならないのは、ハートではなく、ハートの中の源。
 *感じられるようになったころは、源は、ハートの中の一点です
源から、「私」という思考が最初に生じ、心となり、粗雑な身体が現れ、世界が現れる。
 *「私」という思考:最初に生じる思考(心)
源を探り、とどまり(感じ)続けられるようになると、心がハートにとけ込む。
努力し続けることで、心と息がハートにとけ込む。

どれだけ努力をしてもvasanasamskara)が残っているため、源にとけ込むことはできません。
ただ、努力し続ければ、vasanaを弱らせることができます。
 *samskaraは、無理っぽい。。。
真我が、弱ったvasanasamskara)を消滅させ、「私」をとけ込ませてくれるまで、ただひたすら努力し続ける。

源で溺れそうになったとき、あがかず、息をしようとせず、そのまま溺れる。
溺れる直前に感じる、未練(執着)・恐怖にとらわれることなく、息を源に明け渡す。

すべてを源に委ねきれたとき、源に没入し続けられたとき、真我が、「私」との境を取り払い、真我が、「私」にとけ込んでくる。

「真我探求は、源へのバクティである」

今の私は、ここまでです。

ここから先は、「あるがまま」などの日本語文献に記載されていましたので、私なりに理解した内容を記します。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

個人としての感覚が一時的に作用を止めたこの感覚は、初めのうちは断続的であるかもしれないが、実践を繰り返すことによって、それは、容易に達せられ、維持できるようになる。
「真我の探求」がこの段階に達すると、努力を続けていた「私」は一時的に存在をやめ、個人的な努力は、もはや不可能となり、努力なしに真我があらわになりだす。
「私」という思考は、真我にとけ込んでいるのではなく、真我に没入しているだけなので、周期的に主張してくる。
これはまだ、「真我の実現」ではないが、この状態を繰り返し「体験」することにより、「私」という思考を起こす原因である「vasana」が徐々に弱まってくる。
そして、「vasana」の影響力が十分弱まったとき、真我が、残存している、「vasanasamskara」を完全に破壊する。
「私」という思考は、真我にとけてなくなり、二度と再び立ち現れることはなくなる。

これが、最終的な、覆すことのできない「真我の実現」である。

 *Talks
 *Talks(独り言)
 *真我探求に導く瞑想(V.ガネーシャン)


181224_手描きのシュリー・チャクラ(144)

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

マハルシの文献
<ラマナ・マハルシの文献>
 *2008年9月17日記入、2019年1月9日追記

真理の太陽
『真理の太陽』
  【著者】 三浦 関造
  【出版】 竜王文庫
  【発行】 1954年10月1日(初版)、1973年12月1日(復刊3版)
  【価格】 1000円
  ・「6 大聖マハリシの話」(36~76ページ)


こころある旅インド(表) こころある旅インド(裏)
『こころある旅インド』
  【著者】 夫馬 基彦(ふま  もとひこ):1943年~、一宮市生まれ、小説家
        プレム・プラブッダ:星川 淳(あつし)。1952.3.31~、作家・翻訳家
        山尾 三省(さんせい):1938.10.11~2001.8.28、詩人
        室矢 憲治:ロック・ジャーナリスト
        北中 正和:1946年~、音楽評論家
        宮田 雪(きよし):1945.3.3~2011.2.14、脚本家・漫画原作者
        渡辺 眸(ひとみ):1942年~、写真家
        斉藤 司郎
        吉福 逸郎
  【出版】 エイプリル・ミュージック
  【発行】 1977年11月20日(初版)
  【価格】 1200円
  ・「第3章インドそのこころ(スワミ・プレム・プラブッダ)」の「ラマナマハリシ」(205~211ページ)


秘められたインド
『秘められたインド』
  【著者】 ポール・ブラントン(Paul Brunton):1898~1981年、ロンドン生まれ
  【翻訳】 宗教法人 日本ヴェーダーンタ協会
  【出版】 宗教法人 日本ヴェーダーンタ協会
  【発行】 1982年5月19日(初版)
  【価格】 1500円
  【原書】 A Search in Secret India
        ・原書の出版:Rider & Co. / London
        ・原書の発行:1934年


ラマナ・マハルシの教え(表1 150) ラマナ・マハルシの教え(裏1 150)
ラマナ・マハルシの教え(表2 150) ラマナ・マハルシの教え(裏2 150)
『ラマナ・マハリシの教え』
  【訳者】 山尾 三省
  【出版】 めるくまーる
  【発行】 1982年12月15日(初版第1刷)、1992年7月30日(初版第7刷)
  【価格】 1500円
  【原書】 The Spiritual Teaching of Ramana Maharshi
        ・原書の出版:Shambhala / USA
        ・原書の内容:Who am I ?、Spiritual Instruction、Maharshi's Gospel
  ・ブックカバーの裏表紙のお言葉
    『ラマナ・マハリシの教え』
     ・「マハルシの福音(Maharshi's Gospel)」の「沈黙と孤独」の103ページ
    『The Spiritual Teaching of Ramana Maharshi』
     ・「Maharshi's Gospe」の「Silence and Solitude」の49ページ
    『Maharshi's Gospel(PDF版)』
     ・「Silence and Solitude」の14ページ
    『Talks(PDF版、本:2003年版)』
     ・「Talk 145」の130~131ページ


ST(150) ST(裏150)
『The Spiritual Teaching of Ramana Maharshi』
  【出版】 Shambhala / USA
  【発行】 2004年


Who Am I.
『Who Am I ? : The Teachings of Bhagavan Sri Ramana Maharshi』
  【出版】 V. S. Ramanan、Sri Ramanasramam
  【発行】 1996年


南インドの瞑想
『南インドの瞑想 ラマナ・マハリシとの対話』
  【訳者】 おおえ まさのり(1942年~)
  【出版】 大陸書房
  【発行】 1983年8月23日(初版)、1990年7月5日(第5版)
  【価格】 1214円
  【原書】 第Ⅰ部 ラマナ・マハルシの生涯(出典不明)
        第Ⅱ部 ラマナ・マハルシとの対話(TALKS with Sri Ramana Maharshi)の部分訳
        第Ⅲ部 ウパデーシャ・サーラム(UPADESA SARAM)の全訳


Talks(150) Talks(裏150)
『TALKS with Sri Ramana Maharshi』
  【編者】 ムナガーラ・S. ヴェンカタラーミア(Munagala S. Venkataramiah)
         ・カタカナ名は、「沈黙の聖者」。「不滅の意識」は、「ムナガラ・ヴェンカタラミア」
         ・その後、スワミ・ラマナーナンダ・サラスワティ(Swami Ramanananda Saraswati)に改名
           *「不滅の意識」5ページ
         ・1882~1963.2
          1918年に初めてマハルシのところ(Skandasramam)を訪れ、1927年に生まれ変わった。
          1952年にアシュラムを離れ、1955年に戻ってきたが、心臓発作を起こし、再び Waltair に
          帰った。1959年にアシュラムに戻り、1963年2月に mahanirvana に達した
           *Source : Arunachala's Ramana, Boundless Ocean of Grace, Volume 4.
         ・「沈黙の聖者」の192~193ページに記載あり
         ムナガーラ・S.ヴェンカタラーミア
  【出版】 V.S. Ramanan、Sri Ramanasramam
  【発行】 1955年(初版第1刷)、1958年(第2刷)、1963年(第3刷)、1968年(第4刷)、1972年(第5刷)、
        1978年(第6刷)、1984年(第7刷)、1989年(第8刷)、1994年(第9刷)、1996年(第10刷)、
        2000年(第11刷)、2003年(第12刷)
  ・Talksは、1935年1月6日~1939年4月1日までのラマナ・マハルシと帰依者の対話録で、全3巻(発行日
   不明。おそらく1955年?)。3巻まとめての出版(初版第1刷)は、1955年
    第1巻 : 1935年1月6日Talk 13 ~ 1936年7月20日Talk 239 まで(Talk 1 は、1935年4月15日)
    第2巻 : 1936年8月23日Talk 240 ~ 1937年12月30日Talk 438 まで
    第3巻 : 1938年1月3日Talk 439 ~ 1939年4月1日Talk 653 まで 
    *amazon USAで検索した結果
      「Volume 1」  Publisher : T. N. Venkataraman ; 1st edition (1955)


UPADESA SARAM
『UPADESA SARAM : Translated from the original of SRI RAMANA MAHARSHI』
  【出版】 T. N. VENKATARAMAN、Sri Ramanasramam
  【発行】 1983年(Reprint)


20世紀の神秘思想家たち(表) 20世紀の神秘思想家たち(裏)
『20世紀の神秘思想家たち アイデンティティの探求』
  【著者】 アン・バンクロフト(Anne Bancroft):女性、イギリス生まれ
  【訳者】 吉福 伸逸(よしふく しんいち):1943年~、倉敷市生まれ
  【出版】 平河出版社
  【発行】 1984年3月25日(第1刷)、1991年9月10日(第3刷)
  【価格】 1748円
  ・「4.ヒンドゥーの導師」の「ラマナ・マハリシ」(187~209ページ)
  【原書】 Twentieth Century Mystics and Sagee


瞑想の本
『瞑想のほん』
  【著者】 橋本創造(1946年~、東京都生まれ、日本ラマナ協会初代会長)  
  【出版】 日本実業出版社
  【発行】 1984年11月30日(初版)
  【価格】 980円
  ・「8章 悟るための瞑想」(183~198ページ)


瞑想と精神世界事典
『瞑想と精神世界事典』
  【編者】 瞑想情報センター
  【出版】 自由国民社
  【発行】 1988年7月15日
  【価格】 1300円
  ・「第4章・行法編」の「その1 真我の探究(橋本創造)」(120~125ページ)


気マガジン表紙(310).jpg 気マガジン1990年2月号1(150) 気マガジン199年3月号1(540).jpg
「雑誌 気マガジン1990年2月号と3月号」
気マガジン1990年3月号写真(540).jpg この写真(1990年3月号)の目に魅せられて、今の「私」があります。
『雑誌 気マガジン』
  【著者】 橋本 創造   
  【出版】 レイ出版
  【発行】 1990年2~9月号
  ・連載「マハーリシに学ぶ」


ラマナ・マハルシの言葉(表・帯あり150).jpg ラマナ・マハルシの言葉(表・帯なし150) ラマナ・マハルシの言葉(サイン468)
『ラマナ・マハルシの言葉』
  【編者】 アーサー・オズボーン(Arthur Osborne):1906~1970年、英国生まれ
          ・ラマナアシュラマム発行の季刊誌「The Mountain Path」を創刊し、編集長を務めた
  【訳者】 柳田 侃(ただし)
  【出版】 東方出版
  【発行】 1996年7月16日(初版)
  【価格】 1748円
  【原書】 The Collected Works of Ramana MaharshiのPart One「Original Works」の全訳
        ・原書の出版:Sri Ramanasramam
        ・原書の発行:1979年第5版


The Collected Works(150) The Collected Works(150裏)
『The Collected Works of SRI RAMANA MAHARSHI』
  【編者】 アーサー・オズボーン(Arthur Osborne)
  【出版】 Sri Ramanasramam
  【発行】 2002年(第7版第8刷)


沈黙の聖者(表・帯あり150) 沈黙の聖者(裏・帯あり150)
沈黙の聖者(表・帯なし150) 沈黙の聖者(サイン540)
『沈黙の聖者 ラマナ・マハリシ その生涯と教え』
  【編著】 シュリ・ラマナシュラマム
  【監訳】 柳田 侃
  【訳者】 プラモード・ジャイスワール、(夫人)稲岡千春、小坂聡子
  【発案】 川原田久枝(ヨーガ蓮華の会)
  【出版】 出帆新社
  【発行】 1998年9月7日(初版第1刷)
  【価格】 2800円
  【原書】 BHAGAVAN SRI RAMANA ; A Pictorial Biograhy
        ・原書の出版:Sri Ramanasramam
        ・原書の発行:マハルシの生誕100周年を記念して出版された


A Pictorial Biography  A Pictorial Biograhy_直筆
『BHAGAVAN SRI RAMANA ; A Pictorial Biograhy : A Birth Centenary Offering 』
  【compiler and designer】 Joan Grenblatt、Matthew Grenblatt
  【出版】 V. S. Ramanan、Sri Ramanasramam
  【発行】 1981年7月(初版)、1985年4月(第2版)、1995年12月(第3版)


とんぱ創刊号
『雑誌 とんぱ』
  【著者】 V・ガネーシャン
  【訳者】 柳田 侃
  【出版】 出帆新社
  【発行】 1998年創刊号(10月15日)
  ・「真我は今-シュリー・ラマナ・マハルシの教え」(88~101ページ)


マハルシの教え(V・ガネーシャン)
*柳田先生からいただいた小冊子


カルナ
『雑誌 カルナ(旧気マガジン)』
  【出版】 光祥社
  【発行】 1998年12月号(No.153)
  【価格】 752円
  ・巻頭特集「ラマナ・マハルシ」


スターピープル 柳田先生_スターピープル
『雑誌 スターピープル』
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2001年第4号(10月31日)
  【価格】 934円
  ・「Who am I?」、柳田先生へのインタビュー記事(18~21ページ)


不滅の意識(表・帯あり150) 不滅の意識(表・帯なし150)
不滅の意識(アルナチャラ310)
『不滅の意識 ラマナ・マハルシとの会話』
  【著者】 ポール・ブラントン(Paul Brunton)
        ムナガラ・ヴェンカタラミア(Munagala S. Venkataramiah):Talksの編者
  【訳者】 柳田 侃
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2004年8月31日(初版)
  【価格】 2500円
  【原書】 Conscious Immortality : Conversations with Sri Ramana Maharshi
        ・原書の出版:V. S. Ramanan、Sri Ramanasramam
        ・原書の発行:第2版


あるがままに(表・帯あり150) あるがままに(表・帯なし150)
『あるがままに ラマナ・マハルシの教え』
  【編者】 デーヴィッド・ゴッドマン(David Godman):1953年~、英国生まれ、The Mountain Pathの編集・執筆
  【訳者】 福間 巌:1960年~、萩市生まれ
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2005年12月7日(初版)
  【価格】 2800円
  【原書】 BE AS YOU ARE : The Teachings of Sri Ramana Maharshi
        ・原書の出版:Sri Ramanasramam
        ・特別収録:Who Am I ?


BE AS YOU ARE(表) BE AS YOU ARE(裏).jpg
『BE AS YOU ARE : The Teachings of Sri Ramana Maharshi』
  【編者】 デーヴィッド・ゴッドマン(David Godman)
  【出版】 ARKANA PENGUIN BOOKS / London
  【発行】 1985年(初版)
  【著作権】 Sri Ramanasramam , 1985


賢者の奇蹟(表・帯あり150) 賢者の奇蹟(裏・帯あり150) 賢者の奇蹟(写真540)
『ラマナ・マハルシの伝記 賢者の軌跡』
  【著者】 アーサー・オズボーン(Arthur Osborne)
  【訳者】 福間 巌
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2006年7月24日(初版)
  【価格】 2500円
  【原書】 Ramana Maharshi and the Path of Self - Knowledge
        ・原書の出版:V. S. Ramanan、Sri Ramanasramam


静寂の瞬間(表・帯あり150) 静寂の瞬間(裏・帯あり150)
静寂の瞬間(表・帯なし150) 静寂の瞬間(裏・帯なし150)
『静寂の瞬間(とき) ラマナ・マハルシとともに 』
  【編者】 バーラティ・ミルチャンダニ(Bharati Mirchandani)
  【訳者】 山尾 三省、福間 巌
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】  2007年7月25日(初版)
  【価格】 1500円
  【原書】 Heart is Thy Name, Oh Lord : Moments of Silence with Sri Ramana Maharshi
        ・原書の出版:V. S. Ramanan、Sri Ramanasramam
        ・原書の発行:2004年12月
         ・ラマナ・マハルシ生誕125回記念(2004年12月28日)に出版


霊性の訓練150
『霊性の訓練 真我探究(ジニャーナ・ヨーガ)』
  【著者】 宮崎 幸子
  【出版】 出帆新社
  【発行】 2011年9月1日(初版)
  【価格】 1680円


talks2 150 talks1 150
『ラマナ・マハルシとの対話 第1巻』
  【著者】 ムナガラ・ヴェンカタラミア(Munagala S. Venkataramiah)
  【訳者】 福間 巌
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2012年12月15日(初版)
  【価格】 3150円
  【原書】 Talks With Sri Ramana Maharshi


Talks第2巻all小
『ラマナ・マハルシとの対話 第2巻』
  【著者】 ムナガラ・ヴェンカタラミア(Munagala S. Venkataramiah)
  【訳者】 福間 巌
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2013年2月26日(初版)
  【価格】 2625円
  【原書】 Talks With Sri Ramana Maharshi


ラマナ・マハルシとの対話 第3巻150
『ラマナ・マハルシとの対話 第3巻』
  【著者】 ムナガラ・ヴェンカタラミア(Munagala S. Venkataramiah)
  【訳者】 福間 巌
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2013年4月16日(初版)
  【価格】 2730円
  【原書】 Talks With Sri Ramana Maharshi


131208_DVD(310).jpg
『ラマナ・マハルシ アルナーチャラの聖者』
  DVD-ROM 73分
  【字幕】 福間 巌
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2013年12月5日(初版)
  【価格】 3990円


表紙(帯付き)150 表紙(帯なし)150
表紙(見開き)310
『アルナーチャラ・ラマナ 愛と明け渡し』
  【編者】 福間 巌
  【出版】 ナチュラルスピリット
  【発行】 2014年12月19日(初版)
  【価格】 2376円


<英語文献>

Talks2(150) Talks2(裏150)
『Talks with Ramana Maharshi:On Realizing Abiding Peace and Happiness』
  【出版】 Inner Directions / USA
  【発行】 200年(第1版)、2001年(第2版)


THE ARCHIVAL FILMS
『THE ARCHIVAL FILMS』

*上記内容は、正しくない可能性があります。もし、誤りを見つけられましたらコメントしていただけると助かります
m(_ _)m


<柳田先生からいただいた「はがき」と「封筒」>

はがき

封筒


<マハルシが書かれたシュリーチャクラ>

アルナーチャラ便り 2018年12月8号に掲載されていた、シュリーチャクラ。
1920年頃に、マハルシが、女性帰依者ヴェヌアンマルのために描かれたものだそうです。
シュリー・チャクラに関して尋ねた人に、マハルシは以下のように応えています。
「シュリー・チャクラには深い意味があります。聖なる音節が記された43の角があります。これを礼拝することは、精神集中の手段となります。外へと彷徨い出す心の傾向は、抑えて内側に向けねばなりません。すべて名前と形を持つ外的な対象へのこだわりは、心の習性です。名前と形を象徴的な精神的概念としたのは、心を外的対象から逸らして、心自体の内に留まらせるためです。偶像、マントラ、ヤントラは、どれも内に向けられた心への糧なのです。こうしてやがて、精神集中がなされるようになり、後には自動的に至高の境地に至るのです」
 *TALKS405より抜粋
手描きのシュリー・チャクラ
*これ、すごいですよね。ハートが熱くなり、吸い込まれそうになります
("⌒∇⌒")

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

マハルシの年表
マハルシ(モノ3つ合成2)


複数の日本語文献、shibaさんのアルナーチャラの聖者、アルナーチャラ便り「SILENCE」を読んで、マハルシの年表をまとめてみました。
 *2014年6月23日公開
 *2019年5月25日ラマナ・ぺリヤ・プラナームに記載されていいたパラニ・スワミの内容を追記

1879年
 12月30日午前1時 (日本時間:30日午前4時30分)
  スンダラム・アイヤール(父)とアラガンマル(母)の次男(ヴェンカタラーマン)として
  南インド・タミル・ナードゥ州のティルチュリ村に生まれる
   *両親は、ヒンドゥー教徒。盲目の助産婦が輝ける光を見ている
  長男:ナーガスワミ(2歳年上)
  三男:ナーガスンダラム(6年後)
      後にニランジャナーナンダ・スワミと呼ばれる
      (別称:チナスワミ/小さなスワミ)
  長女:アラメール(8年後)
1891年
  初等教育をティルチュリで修めた後、ディンディグルに移動
1892年
 2月18日
  父(スンダラム・アイヤール)死去
  父方の叔父(義弟)スッバ・アイヤールの家(マドゥライ)に住むことになった
  スコット中学校→アメリカン・ミッション・スクールで学ぶ
   *幼い頃から「アルナーチャラ、アルナーチャラ」という声が常に聞こえていた。
    が、それが何であるのかわからなかった(誰にも聞こえる声だと思っていた)
1895年
 11月1日
  年配の親戚の人がマドゥライを訪れ、「どこから来たのですか?」と尋ねたところ、
  「アルナーチャラからだよ」と答えた
   *ヒンドゥー教の聖典は何一つ読んでいなかった。唯一読んでいたのは、シヴァ神の
    聖なる帰依者63人の生涯をつづった信仰の書「ペリヤ・プラーナム(セッキラール著)」
    だけだった
1896年
 7月中旬
  「死の体験」(太陽暦17歳、西洋歴16歳)
   *自分の身体が火葬場に運ばれて焼かれるのを「見た」。その後もその焼かれる
    感覚は続いた。アルナーチャレーシュワラ大寺院のアグニ・リンガム(火のリンガム)
    を抱いて、「父よ、仰せの通りやって来ました。御心のなすがままに」と言うまで、
    その灼熱感は続いた
 8月29日
  マドゥライを去り、アルナーチャラへ
 9月1日
  アルナーチャラに到着
  アルナーチャレーシュワラ大寺院の千本柱廊のホールに住む(数週間)
   *至福に浸ったまま不動のうちに座り続けた
  子どもたちに石を投げられるなどしたため、パーラータ・リンガム(パタラリンガム。
  古の聖者の小さな埋葬室。蟻や害虫や小動物がたむろする暗く湿った、日の光が
  決して届かない場所)に避難(数週間。マハルシの大腿部は、血と膿が滴った傷で
  覆われていた)
  ヴェンカターチャラ・ムダリが、マハルシを埋葬室からスブラマニヤ神殿に移す
  (数週間)
  寺院内の夾竹桃のそう林の庭園に移る
  神輿車のあるホールに移る
  寺院の外壁を巡る道沿いの木の下やマンガイ・ピラヤール寺院に移る
1897年
 1月か、2月
  ティルヴァンナーマライ郊外のグルムールタン寺院に移る
   *ここで初めて字を書いた(タミル語でこれのための奉仕はこれで十分だ)
   *グルムールタン寺院:アンナーマライ・タンビラーンが所有
   *マハルシは、まったく身体のことは忘れていた。沐浴していないまま、ごわ
    ごわにもつれた髪は伸び放題で、爪は長く伸びて曲がっていた。食事は
    ほとんど摂っていなかったので、身体は痩せこけて衰弱しきっていた。
    人々が、押しかけて、サマーディにあるマハルシに触れたり、揺すぶったり、
    話しかけようとするようになっていた
  *この頃、パラニ・スワミが、マハルシの身体を守ったり、食事を食べさせたりした    
1898年
 5月
  マンゴー果樹園に移る
   マンゴー樹園の所有者が、そこにある椰子の葉で作られた藁葺き小屋に移り
   住むように、マハルシとパラニ・スワミに勧めてきた。所有者が野次馬の出入りを
   厳しく規制したので、邪魔されることなく暮らせれた。マハルシの新しい一面が
   開花したのは、この時期だった。30歳も年上だったパラニ・スワミは、マハルシに
   父性愛を抱いていた。町に出かけて行っては、子供を労わる父のように、「神なる
   息子」に読ませる本を入手してきた。こうしてマハルシは初めて、「カイヴァリヤ・
   ナヴァニータム」、「ヴェーダンタ・チューダーマニ」、「アディヤートマ・ラーマーヤナ」、
   「ヨーガ・ヴァシシタ」、「プラブリンガ・リーライ」などの多くの書物を読むことになった。
   このようなアドヴァイタやヴェーダーンタに関する書物を読んだマハルシは、自分が
   16歳の時に経験したことがそこに描写されているのに気づいた。こうしてサマーディ、
   アートマン、マーヤ、サンサーラなどの言葉を覚えたのだった。聖典やヴェーダの
   言葉に精通するようになったのは、この頃からだった。
   *ここで、マハルシは、パラニスワミを助けるため、パラニスワミが読んでいた
    本を手に取って読み通すと、それらの教えの精髄を示す簡潔な概要をパラニ
    スワミに与えた
  父方の叔父(義弟)のネリアッパ・アイヤール(マドゥライで二級弁護士)が訪問
   *まるで岩のように、反応がない
 8月
  マドゥライで一緒に暮らしていた叔父(スッバ・アイヤール)他界
  アイヤンクラム沐浴場の西側にあるアルナーギリナタール寺院に移り、沈黙を
  保ったまま托鉢を始める(1カ月)
   *アルナーギリナタール寺院にも、野次馬の人だかりができ始めた。常に
    マハルシがサマーディにある理由が理解できなかった彼らは、パラニ・スワミが
    いないと邪魔をしてきた
  大寺院の塔の一つと寺院内のアラリ樹園に移る(1週間)
 9月
  パヴァラクンドゥル寺院へ移る(ここでも、食を乞いに行くとき以外は、サマーディの
  中に没入したまま座っていた)
 12月
  母(アルガンマル)が訪問
   *小高い丘パヴァラクンドゥルの岩の上に座っていた。ここにたどり着いた母が、
    「家に戻っておくれ」と訴えたが、一切反応しなかったが、見かねた住人たちの
    苦言により、紙切れに返事を書いた
    「神はプララーブダカルマ(過去生における行為のバランスから生じる、今生で
    成し遂げられるべき運命)に応じて、魂の運命を支配する。いかに努力しようとも、
    運命に定められていないことは起こらない。またいかに避けようとしようとも、運命に
    定められたことは必ずや起こる。これは確かだ。それゆえ最善なのは、沈黙に留まる
    ことだ」
  この頃、外的な普通の生活に戻る最初の兆候が現れ始めていた。自ら托鉢に出かけ、
  食事を決まった時間に取り始めた。また、何度か話しをしたり、帰依者たちの要望に
  応じて聖典を読み、その教えの本質を説明したりした
1899年
 2月
  アルナーチャラの丘に移る
  山の上の様々な洞窟に滞在するが、ヴィルパークシャ洞窟にほとんど滞在
   *マハルシが、マラヤラム語を覚えたのは、ヴィルーパークシャ洞窟で
  マンゴーの木の洞窟を夏の住居として使う
1900年ごろ
  2歳年上の兄(長男・ナーガスワミ)死去
   *子供はいない。妻は10代
   *長女(アラメール)は、結婚していたが、子供はいない
   *三男(ナーガスンダラム)は、結婚していたが、このとき子供はいない
1901年
  シヴァプラカサム・ピライの質問に答える(私は誰か?)
1902年
  ヴィルパークシャ洞窟でガンビラム・セーシャイヤの質問に答える
  (後に「真我の探求」として出版)        
  三男(ナーガスンダラム)訪問
1905年
  ペストが流行したためパチャイアンマン・コーリに移動
1907年
 11月18日
  カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニと出会う
  ムニにウパデーシャを授ける
1908年
 1~3月
  ガナパティ・ムニと他の人と共にパチャイアンマ・コーリに滞在し、ヴィルパークシャ
  洞窟に戻る
  アーディ・シャンカラ作のヴィヴェーカ・チューダーマニとディルク・ディクシャ・
  ヴィヴェーカをタミル語の散文に翻訳
1911年
 11月
  最初の西洋人であるF.H.ハンフリーと出会う
1912年
  ヴァスデーヴァ・シャーストリーと他の人の面前で、第2の死の体験(トルトイズ・ロック)
1913年
  母(アルガンマル)が、三男(ナーガスンダラム)の妻を連れて、ヴィルパークシャ洞窟に
  行き、ナーガスンダラムに子供が授かるようマハルシに祝福を求めたところ、翌年、
  子供が生まれた。感謝を込めてヴェンカタラーマンと名付けた
1914年
  母(アルガンマル)が、ヴィルパークシャ洞窟に来たところ、高熱を発した(腸チフス)ため、
  アルナーチャラへ祈り(歌)を捧げる
  「おお、智慧の炎なるアルナーチャラよ。その光のうちに我が母を抱き、あなたと一つに
  して下さい!」
1915年
  「ポッパドムの歌」が母のために書かれる
  以下のものも、ヴィルパークシャの日々の間に書かれる
   アルナーチャラ・アクシャラ・マナ・マーライ
   アルナーチャラ・パディカム
   アルナーチャラ・アシュタカム
   デーヴィーカ・ロッタラの翻訳
   アーディ・シャンカラ作のダクシナームールティへの賛歌、グル・ストゥーティ、
   ハスターマラカ・ストートラの翻訳
1916年
  スカンダシュラムに移る
  三男(ナーガスンダラム)の妻が亡くなる
   *三男の子供(ヴェンカタラーマン)は、長女(アラメール)に
1917年
  サンスクリット語でアルナーチャラ・パンチャラトナムを作る
  母がスカンダシュラムに定住
  シュリー・ラマナ・ギーターが、ガナパティ・ムニによりサンスクリット語で著される
1922年
 5月19日
  母入寂
 12月中旬
  シュリ・ラマナシュラマムの現在の敷地に移る
1927年
  ウパデーサ・サーラをタミル語、サンスクリット語、マラヤーラム語で作る
 4月24日
  アートマ・ヴィドヤを作る
1928年
  ウラドゥ・ナルパドゥ(40詩節)をタミル語とマラヤーラム語で作る
   *サット・ダルシャナム
1930年
  サンスクリット語のサット・ダルシャナム(ガナパティ・ムニによるタミル語からの翻訳)
1933年
  アーガマのサルヴァジニャーノータラムのアートマ・シャークシャートカーラをタミル語に
  翻訳
1936年
  シュリー・ラマナ・ギーターをマラヤーラム語に翻訳
1939年
 9月1日
  マハルシによって、マトゥルブーテーシュワラ寺院のために基礎が置かれる  
1940年
  バガヴァッド・ギーター」から42詩節を選び、タミル語とマラヤーラム語に翻訳
1946年
 9月1日
  アルナーチャラ到着50周年記念式典
1947年
 2月
  エーカートマ・パンチャカムをテルグ語とタミル語で作る
1948年
 1月18日
  牝牛のラクシュミーがニルヴァーナを得る
  アーディ・シャンカラのアートマ・ボーダをタミル語に翻訳
 12月第2週
  左肘に小さな瘤を発見
1949年
 2月9日
  小さな瘤を切除
  一週間くらいで傷口完治
 3月最初の週
  瘤が成長
 3月中旬
  再発した瘤(肉腫)を切除
  傷口完治せず、数日後に新しい腫瘍が現れる
  医師が腕の切断を助言
  ラジウム療法で腫瘍の成長が少し治まる
 3月17日
  マハルシの面前で、マトゥルブーテーシュワラ寺院のクンバービシェーカム
 6月
  再び成長
  アーユルヴェーダの治療を始める
  腫瘍が非常に急速に成長
 8月14日
  腫瘍を切除し、ラジウム療法
  3カ月間、腫瘍の成長は現れなかった
 12月初め
  数インチ離れた腕の中央に小さな瘤
 12月19日
  第二の腫瘍を切除
  腫瘍が筋肉の深部に広がっていた
  ホメオパシーを試みたが、再発。アーユルヴェーダの治療も不調
  腫瘍の成長が急速に増す
1950年
 4月9日
  ベッドから離れられなくなった
 4月14日午後8時47分(日本時間:15日午前0時17分)
  粗雑な身体から離れる    
  その瞬間、鮮やかに輝く流れ星が、南(現在のニルヴァーナ・ルーム)から出て、
  空を横切り、ゆっくり北側に動き、アルナーチャラ山頂の背後に消えるのがインドの
  様々な場所で多くの人に目撃される

マハルシが、マドゥライの叔父の家の二階の部屋でひとり座っていたときに、激しい死の恐怖が突然襲いかかり、それについて何をすべきか考え、内面を探求したところ、「私」が肉体ではなく、「真我」であることを何の思考過程もなしに直接知覚し、真我へ没入するようになったようです。(この間、わずか30分くらい)
つまり、「死の体験」をしたときに、「真我の探求」による努力によって、真我を知覚し、真我へ没入するようになったということのようです。(「死の体験」をすれば、誰でも真我を知覚し、真我へ没入できるわけではないようです)

マハルシは、「真我探求」が導く成就は、通常、即座にではなく、長い努力の末にのみ達成できるもので、本来の自己(真我)を実現するための唯一直接的な方法だと語ったそうです。
さらに、「真我探求」は成就するまでに長い時がかかるかもしれないが、変容のプロセスは即座にもたらされる、「自我がそれ自身を知ろうとしはじめた瞬間、それは、いままで巻き込まれていた身体から徐々に離れ、より真我の意識の質を帯びるようになる」と説いたそうです。

マハルシは、ティルバンナーマライの寺院や神殿に滞在した二年数カ月、真我に没入して座り、沈黙し続け、世界と身体を完全に無視していました。この間のことを「真我実現のために行っていたのではなく、真我を実現した結果である」と、また、「沈黙していたのは、世俗的な要求がなかったため、単に話す必要がなかったから。話さないということが、妨害から守ってくれると思いついたから」と語ったそうです。

マハルシは、世界の現れに無意識なまま、真我の中に完全に没入したニルヴィカルパ・サマーディ(永久的なサマーディではない)であったようです。
これを、井戸の中に下ろされた桶にたとえて、「桶の中には、井戸(真我)の中でひとつとなった水(心)が入っている。だが、ふたたび引き上げられるためにロープと桶(自我)はいまだに存在している」と語られたそうです。
つまり、このような状態にあっても、サハジャ・サマーディ(最終的な状態。世界の現れの完全な気付きを伴いながら、身体と精神の機能を完全に行使した、至福さえ越えた、妨げられることのない純粋意識。真我にとけ込んだ状態)ではないと語られたようです。

マハルシが、外的に正常な状態を保ちながら日常生活に従事できるようになったのは、「死の体験」から数年を要しています。

【参考】
1.アーシュラム歴代会長
初代(~1953年)
 ナーガスンダラム(ニランジャナーナンダ・スワミ)
 別称:チンナスワミ
 *マハルシ(二男)の弟(三男)
2代目(1953~1944年)
 T.N.ヴェンカタラーマン
 別称:スワミ・ラマナーナンダ・サラスワティ
 *マハルシの甥(三男ナーガスンダラムの息子)
3代目(1994年~現在)
 V.S.ラーマナン
 別称:スンダラム
 *マハルシの甥(T.N.ヴェンカタラーマン)の長男

2.「ラマナ・ペリヤ・プラーナム(75人の古い帰依者の霊性の旅)」
バガヴァーン・ラマナ・マハリシを大伯父に、元アーシュラム会長ヴェンカタラーマン氏を父に持つV.ガネーシャン氏(二男)は、アーシュラム・マガジン「MountainPath」の編集などを通じて、アーシュラムに約37年間貢献されました。
引退後、バガヴァーンの古い帰依者達をアーシュラムに再度招いて、その最期を看取ることを自らのサーダナとされました。
これを機会に、彼らの口から直接バガヴァーンと過ごした懐かしい日々を聞き出して記録することに専心するようになりました。
面会を重ねるうちに、それまで存在しなかった「帰依者達によるバガヴァーンの回想録」が紡ぎ出されました。
帰依者一人一人の心の奥深く仕舞われていたバガヴァーン秘話は、こうして「ラマナ・ペリヤ・プラーナム」として開花したのでした。
「ペリヤ・プラーナム」は熱烈なシヴァの帰依者63人を綴った、タミール・ナドゥに伝わる古い聖典です。
この表題にちなんで、バガヴァーン・ラマナ・マハリシと古い帰依者75人の密接な交流が描かれたこの本は、「ラマナ・ペリヤ・プラーナム」と名付けられました。

マハルシ(540)


 *Talks
 *Talks(独り言)

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Talksなどのまとめ
アルナーチャラー(shioさん)
photo:shioさん

<Talks、日本語文献を読んだまとめ>
 *2009年10月28日記入、2016年3月13日修正

<三つの眠りの状態と第四、第四を越えた状態(身体・鞘)>
1.目覚めの状態
    jagrat:waking state:目が覚めている状態
  【身体】
    sthula sarira:physical body:物質的な身体
     ・gross body:粗雑な身体
     ・fleshy body:肉の身体
     ・眠らないでいる状態を享受する身体
  【鞘】
    annamaya kosa:sheath of gross matter:粗雑な物質の鞘
  【説明】
    ・眼を開いて夢を見ている眠りの状態
    ・心の活動、思考のような活動があるため、客体と世界がある
    ・身体との同一視が失われていないため、粗雑な身体が、粗雑な名と形を知覚する
    ・感覚器官による知覚がある
2.夢見の状態
    swapna:dream:夢を見ている状態
  【身体】
    sukshma sarira:subtle body:微細な身体
     ・subtle:識別しにくい微妙さ、分からないほど微細な、かすかな
     ・dream body:夢を見ている状態の身体
     ・mental body:心の身体
     ・夢を享受するかすか(微妙)な身体
  【鞘】
    manomaya kosa:sheath of mind:心の鞘
  【説明】
    ・眼を閉じて夢を見ている眠りの状態
    ・心の活動、思考のような活動があるため、客体と世界がある
    ・身体との同一視が失われていないため、心の身体が、それらの多種多様な形と名の中で心の
     創造物を知覚する
    ・感覚器官による知覚が希薄
    ・夢は、目覚めと夢のない眠りを連結するもの。眠らないでいるときのサムスカーラの結果
    *夢のない眠りの状態から、夢見の状態に移ったとき、最初に「私」という思考が生じ、自我・
      微細な身体が生じる
3.夢のない眠りの状態
    sushupti:dreamless sleep:夢のない眠り
     ・deep dreamless sleep:深い夢のない眠り
     ・sleep:眠り
     ・the state of deep sleep:深い眠りの状態
  【身体】
    karana sarira:causal body:原因となる身体
     ・primal body:原始の身体
  【鞘】
    ・?
  【説明】
    ・夢を見ていない眠りの状態
     →眼は開いていたり、閉じていたり
    ・心の活動、思考の活動がないため、客体と世界はない
     →心の空白の状態
    ・身体との同一視が失われているため知覚がない
    ・感覚器官による知覚がない
    ・「私」という思考は真我に没入しているが、とけ込んでいない(「私」と真我を隔てる壁がある)
    ・粗大な対象も微細な対象も経験することはないが、無知が持続している
    ・真我の知識(意識)に満たされている(気付いていない。無知)
  *sarira traya:三つの身体
    entire body:すべての身体(私たち自身とすべての宇宙の身体)
  *三つの眠りの状態は、自我に属する
  *三つの眠りの状態以外に、心の働きが存在しないか、それとも、真我の意識が広く行き渡っていないところ
    で、眠り、昏睡、失神、狂気などの中立の領域がある
  *粗雑な身体や世界は、目覚めている人のために存在していて、深く眠っている人にではない
4.第四の状態
    turya(turiya):the fourth state beyond waking, dreaming and sleeping:
                       目覚め、夢見、夢のない眠りを越えた第四の状態
  【身体】
    ・不明。。。
  【鞘】
    anandamaya kosha:the sheath of bliかss:至福(Ananda)の鞘
     *Ananda(至福)は、Sat(あり続けている)の本性(本来の性質)
     *Sat(あり続けている)の輝きであるChit(意識)がAnanda(至福)の鞘(と思われる)
  【説明】
    ・「私」という思考が、至福の鞘に吸収され、とけ込んだ状態
      →正確には真我にとけ込んでいない
    ・意識の状態
    ・真我が見るものであるという観念を持つ
    ・三つ(目覚め、夢見、夢のない眠り)の眠りの状態のことを何も知らない
    ・三つの眠りの状態の下に横たわる制限のない基体(物や現象の根底にある本質)
5.第四を越えた状態
    turyatita
  【身体】
    ・不明。。。
  【鞘】
    ・至福の鞘がなくなった(越えた)状態
  【説明】
    ・「私」という思考が、純粋な至福に吸収され、とけ込んだ状態
    ・純粋な至福
    ・実際に四つの状態があるのではなく、真に超越した一つの状態だけがあるという真我に完全にとけ込ん
     だ状態
    ・真我が見るものであるという観念も消滅している
6.合間
  ・interval
  ・Talk 314:the transitional ‘ I ’:移行期の「私」
  ・目覚めと夢見、夢見と夢のない眠りの状態の間に、「合間(真の「私」の状態)」がある
  ・夢見から目覚めに遷移するときに、「合間」を感じることができる
  ・不滅の意識 196ページ
    人が目覚めたとき、実際に外部の世界に十分気付くようになる前に、その合間、時間、空間の
    ないことが真の「私」の状態
7.Sat-Chit-Ananda(Satchitananda)
  ・あり続けている(Being)-意識(Consciousness)-至福(Bliss)
  ・Sat(あり続けている)の輝きがChit(意識)であり、その性質(本性)がAnanda(至福)
   あり続けている真我の本来の性質が、「至福」
   真我の輝きであり、至福の鞘が、「意識」
   意識の広がりの拡大が、「心(「私」という思考)」
8.まとめ
 【目覚めの状態】
  粗雑な身体
  物質的な鞘にくるまれている
  心の活動がある
 【夢見の状態】
  微細な身体
  心の鞘にくるまれている
  心の活動がある
 【夢のない眠りの状態】
  原因となる身体
  至福の鞘にくるまれている
  至福の鞘に没入した状態
  心の活動がない(空白の状態)
 【第四の状態】
  至福の鞘にとけ込んだ状態
  至福の鞘そのものになっている
 【第四を越えた状態】
  至福にとけ込んだ状態
  至福そのものになっている
 【合間】
  目覚めの状態(粗雑な身体)と夢見の状態(微細な身体)の合間
 【至福の鞘】
  真我の輝き(意識)
 【至福】
  真我の性質(本性)

<真我と私>
1.真我
  ・Self
  ・Talk 16:出生以前に後天的に得た傾向の種子を内部に含む「自我」を跳ね返す
  ・純粋な、そして、絶対的存在
  ・いつもそこにあり、そして、すべての状態で途切れることなく存続する
  ・完全な平穏
  ・atman:アートマン
   ・Self:真我
  ・Brahman:ブラフマン
   ・The Supreme Being;the absolute:至高の存在、つまり、絶対的なもの
   ・Supreme Spirit:至高の精神
   ・Perfect Bliss:完全な至福
   ・Bliss, impersonal and absolute:至福、人格を持たない、絶対的なもの
   ・人(man)の中にあるAtmanは、太陽の中にあるBrahmanと同じ
  ・実在
   ・自我(三つの状態)の背後に横たわっている「ある(Being)」
   ・私やあなたはなく、現在・過去・未来もない
   ・時・空間・言葉などによる表現を越えている
   ・純粋な私
   ・完全な(Absolute)ある(あり続けている、存在:Existence)-意識(Consciousness)-至福(Bliss)
  ・光と闇、神と悪魔、天国と地獄を超えてあり続けている
  ・Be as you are:あなたは、ある(真我)としてありなさい
   ・「あるがまま」、「いま、ここ」を超えている
2.源
  ・source
  ・source of thoughts 思考の源
  ・root-thought 思考の根源
  ・ハートの中にある
  ・息の源と心(「私」という思考)の源は同じ
  ・心と呼吸は(思いと行為のように)二本の枝のように分かれている。しかし、両方とも、単一の根元から
   出ている
3.ハート
  ・the Heart
  ・Talk 29
   ハートは、漠然とした想念「私」が生じる場所を意味すると、ヴェーダと聖典の中で用いられます。
   それは、肉の身体の膨らみからのみ生じるのでしょうか?
   それは、私たちの存在の真ん中でおおよそ右側、私たちの内部に生じます。
   「私」は、位置を持ちません。何もかも真我です。それを除いて何もありません。
   このように、ハートは、私たち自身のすべての身体、すべての宇宙から成ると言われるに違いなく、
   「私」として考えられます。
   しかし、実践する人(abhyasi)を助けるため、私たちは、宇宙の、または、身体の確実な部分を
   指し示さなければなりません。
   このように、このハートは、真我の座として指摘されます。
   しかし、真実の中では、私たちは、あらゆる場所にいます。私たちは、すべての存在です。そして、
   その他に何もありません
  ・心は、ハートではなく、ハートの中にある源(真我)にとけ込ませてもらえたとき、真我としてあり続け
   られる
  ・源から「私」という思考が最初に生じ、そして、粗雑な身体(息)が現れ、世界(宇宙)が現れる。
   源を探り、とどまり続けられるようになると、ハートにとけ込むことができる。
   努力し続けることで、心と息がハートにとけ込むことができる。
   ただ、どれだけ努力をしても源にとけ込むことはできない。
   源にとけ込むためには、源を感じ、源に帰依し続けることにより、真我が「私」をとけ込ませてくれるまで
   待つしかない
  ・laya
   ・心と息がハートの中にとけること。ハートの中に息と心を吸収
   *TalksのGROSSARY
     ・dissolution:溶解、溶けること
       ・dissolve 固体を他の液体の中に入れて溶かす、固体が液体の中で溶ける
   *Collected_worksのGROSSARY
     ・absorption;in yoga, absorption of breath and mind in the Heart
      吸収、そして、yogaの中で、ハートの中に息と心を吸収
  ・manolaya
   ・心が、ハートの中でとけること
   *TalksのGROSSARY
     ・(temporary)subsidence of the mind:心の(一時的な)沈下
   *Talk 30
     ・mind-dissolution:心の溶解。心がハートの中でとけること
  ・pralaya
   *TalksのGROSSARY
     ・dissolution (of the world):世界の溶解。世界がハートの中でとけること
   *Talk 30
     ・cosmic dissolution:宇宙の溶解。宇宙(固体)が液体(ハート)の中で溶けること
4.「私」という思考
  ・I-thought、‘ I ’ thought、thought of ‘ I ’
  ・真我(源)から最初に生じる思考
5.心
  ・mind
  ・思考の束(A bundle of thoughts)
  ・命(life)という現れの一つの形
  ・主体と客体の創造者で、二元的な観念の原因
  ・心は、心ではないもの、または、物質と関連している、または、従っていると見られているため、
   心と物質は共存する
6.ヴァーサナ
  ・vasana:habit of the mind;latent tendency or impression
         (現世の)心の習慣。潜在的な傾向、または、印象
  ・もっとも微細な形でハートの中に囲い込まれている
  ・ヴァーサナが、私が真我であることを忘れさせている
  ・多様性を産み出し、そこから一切の障害があらわれる
  ・「私」という思考を生じさせる原因
  【二種類のヴァーサナ】
   ・スバ(subha)の支配下にあるとき:良い、または、快い心
   ・アスバ(asubha)の支配下にあるとき:良くない、または、不愉快な心
  【二種類のヴァーサナ】
   ・バンダ・ヘートゥ(bandha hetuh):無知な人に束縛を引き起こすこと
   ・ボーガ・ヘートゥ(bhoga hetuh):賢い人に喜びを与えること
7.サムスカーラ
  ・samskara:innate tendency:生まれながらの傾向
  ・過去から続いている心の印象(傾向と気質)
  ・生まれつきの性質(instinct)
  ・出生以前に後天的に得た傾向の種子
  ・ヴァーサナの種
  ・サムスカーラがなくならないと、真我にとけ込めない
  ・サムスカーラは、「私」ではなくすことができない、与えたであろう真我しかなくすことができない
8.チッタ
  ・chitta:memory(記憶):mind(心)
  ・心の素質
  ・過去からの印象(サムスカーラ?)が蓄えられている
  ・対象の方向に向けられた心の様式
  ・その中に印象が蓄えられている心の様相
9.自我
  ・jiva:the ego:自我、the individual soul:個々の魂、personality:その人特有の特徴・個性、
      individuality:個性、個性(individuality)という成長の本質
  ・ahankara:the ego-self:自我自身、‘ I ’ sense:「私」という感覚
  ・真我から放たれた光が、「私」という思考を透過し、傾向の種子(samskara)に反射し、
   宇宙として具体化される感覚として現れ、自我として知覚できるようになり、世界が現れる
  ・身体と自我を同一視し、真我を見ることを失わせている
  ・自我に内包されている傾向の種子(samskara)を成長させる。その結果、現世の傾向(vasana)を得る?
  ・思考を成長させ、世界も成長させる
  ・目覚めの状態では脳、深い夢のない眠りの状態ではハート(右胸)にとどまると言われている
  ・自我の鞘は、知性。自我は、知性ではないが、知性の性質を帯びる
10.「私」という想念
  ・I-idea
  ・自我が具体化されてから生じ、身体(または生命体)と関連しているはず

<サマーディ>
1.サマーディ:samadhi
  ・GROSSARY:なし 
  ・Talk 26・29:undistracted mind:注意をそらされていない心(真我から引き離されていない心)
  ・Talk 391:Holding on to Reality is samadhi
  ・実在(真我)につかまっている
  ・五感は消失していない、休息状態にある
  ・心が止まっているだけ?
  ・心は生きている
  ・一時的な至福
2.サヴィカルパ・サマーディ:savikalpa samadhi
  ・GROSSARY:a state of concentration in which the distinction between the knower.
           knowledge and known is not yet lost
           知るものを区別する中での集中の状態。
           知ることと知られるものは、まだ、失われていない
  ・Talk 17:though differentiated, still in absolute repose
        分化した思考、絶対的な安らぎの中での静けさ
        目を閉じればnirvikalpa、目を開ければsavikalpa
  ・Talk 391:Holding on to Reality with effort is savikalpa samadhi
  ・努力して実在(真我)につかまっている
  ・知る者、知られるもの、知ること(見る者、見られるもの、見ること)の区別が失われていない
  ・不断の努力によって維持されているサマーディの状態
  ・自己留意が揺らぐと、真我の自覚は妨げられる
  ・願望、情欲、怒りなどがどこから生じているのかを知り、その源につかまっている
  ・心は、一つの対象から他の対象へ飛び移る
  ・内部からそれに反発することなく世界を目撃している間の静けさ
  ・静かで穏やかな波のない大洋
  ・外的サマーディ
  ・心は生きている
  ・一時的な至福
3.ニルヴィカルパ・サマーディ:nirvikalpa samadhi
  ・GROSSARY:the highest state of concentration in which the soul loses all sense
           of being different from the universal Self,
           but a temporary state from which there is a return to ego-consciousness
           魂が、普遍的な真我と異なる存在すべての感覚を失う中で、集中の最も高い状態。
           しかし、自我意識への復帰があるから一時的な状態 
  ・Talk 391:Merging in Reality and remaining unaware of the world is nirvikalpa samadhi
  *ケーヴァラ・ニルヴィカルパ・サマーディ:kevala nirvikalpa samadhi
   ・Talk 256:kevala nirvikalpa happens even in the tanumanasi stage (of attenuated mind).
  *ケーヴァラ・サマーディ:kevala samadhi
   ・GROSSARY:samadhi in which activities of body and mind are only merged
            身体と心が、ただとけ合わされた中での活動というsamadhi
   ・Talk 187:
     (1)mind alive
     (2)sunk in light
     (3)like a bucket with the rope left lying in the water in a well;
     (4)to be drawn out by the other end of the rope.
  ・集中の最高の状態、そこでは人は普遍的真我とは異なるというすべての感覚を失うが、自我へ
   戻ることがある一時的な状態
  ・努力なく、一時的に真我の中に吸収された状態、その中では感覚は働かず思考は全体として
   ない。マハルシは、通常これをたんにニルヴィカルパ・サマーディと言っている
  ・真我実現の前の段階
  ・真我の一時的な自覚はあっても、感覚的情報を知覚できず、世界の中で機能することもできない
  ・そよ風によっても影響されない静かでむらがなく燃えている炎のよう
  ・内的サマーディ
  ・ロープをつけて井戸の中に沈められているバケツのよう(引き上げられてしまう)
  ・主体は一方と他方を区別しており、そこでは活動がある
  ・心の活動の休止と外的対象の消失から生じている至福を享受する
  ・身体意識が戻ったとき、自我も再び現れ、至福が終わる
  ・真我に没入した状態(真我にとけ込んでいない)
  ・心は生きている。完全に消滅していない
  ・一時的な至福
4.サハジャ・サマーディ:sahaja samadhi
  ・GROSSARY:samadhi which comes naturally and is present always
           自然のままに生じ、いつも目の前にあるsamadhi
  ・Talk 17:The ever-present state is the natural state sahaja
           常に目の前にある状態は、自然のままの状態sahaja
  ・Talk 68:natural:自然のままの
  ・Talk 187:
    (1)mind dead
    (2)resolved into the Self;
    (3)like a river discharged into the ocean and its identity lost;
    (4)a river cannot be redirected from the ocean.
  ・Talk 317:effortless samadhi:努力を要しないサマーディ
  ・Talk 398:Sahaja is the original state
  ・sahaja:natural;one’s natural state:自然のままの、つまり、一つの自然の状態である
  *サハジャ・ニルヴィカルパ・サマーディ:sahaja nirvikalpa samadhi
   ・Talk 391:Remaining in the primal, pure natural state without effort is sahaja nirvikalpa samadhi.
  ・jagrat sushupti(ジャーグラト・スシュプティ):目覚めた眠り
  ・人が自分自身と世界との差別を見ることなく、人間の能力を十分に利用したままで、真我の中に
   自然に永遠に吸収されている状態
  ・マハルシは、このサマーディを強調している
  ・努力なく、原初の、純粋で、本来の状態にとどまっている
  ・自我を完全に二度と現れることのないまでに消し去った状態
  ・永遠に存在し、最終的なもの
  ・むらのない炎(サヴィカルパ)と波のない大洋(ケーヴァラ)との同一視
  ・心は死んでいる。心の活動への逆戻りはない
  ・心は真我の中に溶解され、消え失せてしまっている
  ・心の印象は消滅している。私という思考も消滅している
  ・大洋に流入してその独自性を失った川のよう。川は大洋から方向を変えることはできない
  ・主体のみしかないため、一方と他方を区別していない
  ・対象と活動は、障害物ではない
  ・身体・感覚・心は働くかもしれないが、身体の活動をほとんど意識しない
  ・身体活動に気づかないままにとどまっている
  ・永久的な至福
  ・至福の消失が結果として生じることはない

<道(Marga:path)>
禁欲、純粋な食べ物、離欲、偶像崇拝、瞑想、hatha yogapranayama(呼吸調節)、hatha yogajapa(マントラの復唱)は、一点に集中するための強い心を育てる。
それぞれの段階に応じて、適した道を選べば良いが、マハルシが勧める道は、「探求の道」。
一点に集中できるようになったら、「探求の道」を実践し続ける。
「私」という思考の源を探り求め、そこに居続ける(そこを感じ続ける)努力をし続ける。
真我が、「私」をとけ込ませてくれるまで。
1.Vichara Marga:path of enquiry:探求の道
2.Bhakti Marga:path of devotion:帰依の道
  ・prapatti:surrender:明け渡し
     = parabhakti:the highest form of devotion:帰依の最も高度な形
     = vairagya:dispassion:平静、non-attachment:無執着
  ・Nivritti Marga:path of renunciation:放棄の道
  ・Jnana Marga:path of knowledge:知識の道
    *実在(Reality)から個(individual)がいかにして分離したのかを見いだす努力をする
    ・Ravi Marga:path of the sun:太陽の道:Jnana
3.Yoga Marga:path of union:結合の道
   *実在(Reality)と個(individual)の結合を目指す
  ・pranayama:regulation of breathing:呼吸の調節
  ・Moon Marga
4.Karma Marga:path of action:行為の道
   *良い行い(deed)をすること、例えば、社会奉仕
  ・Pravritti Marga:path of action:行為の道

<方法(method)>
第1の方法:vichara:探求
第2の方法:bhakti:帰依
第3の方法:pranayama:呼吸の調節:Yoga
第4の方法:karma:action:行為

<進行の段階(satya:degree)>
 *GROSSARY:satya:true:真実の;the real:実在
1.Vyavaharika satya(日常生活)
   *GROSSARY:Vyavaharika satya:phenomenal existence:思考ではなく五感で知覚できる存在
  ・この椅子は、私によって見られる実在
  ・真我探求(「私」という思考の源を探り求める)を始める前、「世界(心の投影)」は、実在
2.Pratibhasika satya(錯覚の)
    *GROSSARY:Pratibhasika satya:特定の個に現れるような、錯覚を起こさせる現実
  ・ロープを蛇と見間違える(錯覚)。見間違えた人にとって、それは、実在
  ・真我探求の過程において、常に存在しないものを「これではない、これではない」と排除するため、
   それは、錯覚
3.Paramartika satya(究極の)
  ・実在は、常に同じで、変わることがない。錯覚をなくすと、実在のみが残存する
  ・真我が、「私」という思考を源にとけ込ませたとき、常に存在しないと排除した「世界」は、実在(実在の
   一部として見いだされる)。すべての常に存在しないものは、実在であり、実在以外何もない
   ・真我から外へ投影される思考がどこから生じるのかを見いだすと、真我のみが残存する(Talk 13)
   ・自分自身ではないすべてを捨てた後に残された残りものが、
    あり続けている-意識-至福(Sat-Chit-Ananda)である真我(Talk 25)
   ・すべての客体が消滅するまで主体を探し求めると、完全な主体のみが残存する(Talk 25)
   ・本来の「私」の場所(「私」という思考の源)の中で、自分自身を完全に明け渡す(「私」が失われる)と、
    真我のみが残存する(Talk 28)

<三つ組(triads)>
 seer:見る者
  witness:見る者、目撃者、目の当たりに見る者
 the seen:見られるもの
 seeing、sight:見ること

 drik:he who sees:見る者、the subject:主体
 drisya:that which is seen:見られること、the object:客体

 私は真我であるが、真我であることを忘れている。
 そのため、「真我(見る者)」と「私・世界(見られるもの)」に分離してしまう。
 私が真我にとけ込むと、見る者だけとなり、見られるものはなくなる。
 一つである実在(真我)。
 見る者が、見、そして、あり続ける。

 knower:知る者
 the known:知られるもの
 knowledge:知ること、知識

 知る者と知られるものと知ること。
 私が、真我にとけ込むと、知る者だけとなり、知られるものはなくなる。
 そして、知る者は、知ることとなる。

 cogniser:認識する者
 cognised:認識されるもの
 cognition:認識

<mixiで知り合った大先輩に教えていただいたお言葉>
ジニャーナなきバクティは、狂信を生む。
バクティなきジニャーナは、ただの知識となる。

<柳田先生のお言葉>
真我探求は、心による、あるいは知的な「探究」ではなく、献身的な「探求」である。

<その他>
考えることをやめ、思うことをやめ、心を止め、呼吸を保持する。
「私」という思考の源を探し求める(知性を保持する)と、「知性(intellect)」、「理性(reason)」はなくなり、「感じること(feeling)」のみとなる。
たき火をかき混ぜる棒が、いつしか燃えてしまうのと同じように、最後に残った知性はなくなり、本当の「私」があらわになる。
「感じること」は、最も重要な要因で、「理性」ではない。
「感じること」 ←→ 「思うこと(知性、理性)
本質的に不可欠なものは、師の恩恵。
映画を見ている人は、スクリーンに映し出されている光と影を見て、あたかもそこで人が演じているかのように思っている。
しかし、実際に見ているのはスクリーンに過ぎず、誰もそこで演じていない。
「私」を透過して、現れた世界(光と影)を見るのではなく、私に向かって放たれた光を見る。
そして、その光の源を見続ける(感じ続ける)ことにより、知性や思考がなくなり、真我のみになる。

 *Talks
 *Talks(独り言)

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体



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ookuwa

Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2019.07.13 真我の探求方法
2019.05.25 マハルシの年表
2019.01.09 マハルシの文献
2016.03.13 Talksなどのまとめ



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