ラマナ・マハルシの教え
日本ラマナ協会前会長故柳田侃先生から教えていただいた「ラマナ・マハルシの教え」の理解をより深めるため、実践して感じたことや「TALKS WITH SRI RAMANA MAHARSHI ラマナ・マハルシとの対話」の直訳、感想などを記します!(日本ラマナ協会は一切関係ありません)
2004年8月16日午前4時25分
柳田先生

2004年8月16日午前4時25分、柳田先生が粗雑な身体を離れられました。

先々月から激務が続いています。
これまでにない激しさで、公私ともに多忙を極めています。。。

ものが見にくくなり、眼科に行ったところ、緑内障になりかかっているとのことで、目の充血などが治まったら精密検査。。。

腰も膝も痛みだし、普通に歩いていてつまずくことも。。。

老いを感じるこの頃です。
(^_^;)

まぁ、と言っても、やらなければならないことはやらなければならないです!

老体にムチ打って、試練を乗り越えたいと思います!
("⌒∇⌒")

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1950年4月15日午前0時17分
気マガジン1990年3月号写真(540)

1950年4月14日午後8時47分(日本時間:15日午前0時17分)、マハルシが粗雑な身体を離れました。

2015年4月11日午前4時、父が亡くなりました。
今年は、8日に母と一緒にお墓参り。
昨年12月に父の弟さんが亡くなりました。
これで、父方の姉弟は、すべて他界し、残すは母のみ。
母には、迷惑をかけてばかりでしたので、今のまま、元気で長生きしてほしいです。


180409_長良川と桜

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真我探求に導く瞑想(V.ガネーシャン)
柳田先生が、勉強会で使用されたテキストの内容を若干修正して記載します。
*ひょっとしたら、1998年に雑誌「とんぱ」に掲載された記事の元原稿かもしれません

<「私は誰か」 真我探求に導く瞑想:シュリー・ラマナ・マハルシの方法>
執筆:V・ガネーシャン

ラマナ・マハルシが、今、私たちを導いています。
この言葉は、マハルシのハートから出て、あなたのハートに伝えられているものです。
あなたを導いているのは、あなた自身の形をしているマハルシ以外の誰でもありません。
なにか仲介手段を用いる必要も余地もないのです。
ただ、じっと注意していてください。

あなたは、ただ耳を澄ませているだけです。
誰かから何かを聴いているのではありません。
言葉で伝えられてはいますが、それは単に言葉で述べられたものでも、書かれた文章でもなく、あなたに力強く伝えられている、あなた自身という存在の真の状態に他ならないのです。

楽な仕方で座ってください。
何かを心に描いたり、頭で考えたり、目で見ようとしてはいけません。
ものごとが起こるに任せておいて、何かが起こってくるかを注意して、じっと見ていてください。

 あなたはある。

不意にさまざまな想いが襲ってきます。
でも、気にすることはありません。
また、何かをしようとしてもいけません。
起こってくるままにしておいてください。
一つ、また一つと想いが続けてやって来ます。
理解したり、分析したりといった努力をしないようにしてください。
また、それを制限したり、拒んだり、非難したり、明らかにしようとしたりしないで、想いが襲ってくるままにしておいてください。
ただただ、注意していてください。
緊張したり、固くなったりしないで、くつろいだ気分でいてください。

「ちょうど、そうしている、その時、起こってくる一つの想いをとらえてください」
「そうです」

その想いが、次に起こってくる想いによって、すぐに押し流されないようにしてください。
あなたがしなければならないことは一つ、その想いに忠実であることです。

「例えば、『私はロサンゼルスへ行きたい』というような簡単な想いです」

それに対して、中立的で偏らない態度を取ってください。
その想いのままでいてください。
その意味にとらわれないようにしてください。
その想いが伝えることの背後にある感覚に反応しなようにしてください。
あなたは、ただ単にそれを見ているのです。
この時、他の想いが起こってこないようにしてください。

 いま
 あなたのすべての注意力を集中して
 そして
 尋ねてください

「誰のところにこの想いがあるのですか?」と。
そして、それをしっかりと理解してください。
 あなたが質問しているのです。
 そして、それは、あなた自身に向けられているのです。
だれか他の者でも、何か他のことでもありません。
あなたが、あなた自身に答えているのです。
だから明瞭な答えは、

 「私に」です。

それを感じ取ってください。
そこに2つのものが含まれていますか?
1つが「あなた」として、もう1つが「想い」として?
どうですか?
そう、その質問は、あなたによって、あなた自身に対してなされているのです。
それを感じ取ることによって、しかし、それ以上の動作をするのでもなく、それを考えようとせき立てられ、焦るのでもなく、はっきりと理解してください。
それは、単純な事実なのです。

 さあ

 待ちなさい

もう一度すべてのあなたの注意を集中して!
そうして、
「私に」を知る必要に、鋭く注意を集中してください。
そうです。
あなたのすべての感受性でもって、注意力と一点への集中力をもって、尋ねてください。

 「私は誰か?」と。

自分の中を一心に注視してください。
すべての動きは止まります。
想いもなく、あなたもなく、
ただ、
 沈黙
 不動
 静寂

みなさんが、この真我探求の手ほどきを聞く前に、ここで耳を傾けてくれることを強調するのは、私たちは、まず自分の内に「沈黙」を経験しなければならないからなのです。
そのような経験が、先へ進むために不可欠なものなのです。
ラマナ・マハルシは、これを、本当の「私があること」の「先取り」と呼んでいます。
それは、私たちそれぞれの内にある沈黙であり、私たちの日常の背後にあって、それを超越し、すべてを含むものであり、エゴイスティックな「私」という感覚、私を変えていく一見とらえどころのないものなのです。
ただの「私」の背後にある沈黙の状態を指し示すためには、どんなに多くの言葉による説明も無益であることがわかります。
努力することは、それ自体としては、皮肉にもいろいろな観念と、より一層の説明の迷路に人を陥れるだけなのです。
反対に、巧みな言葉によってではなく、経験のその中に、直にあることによって、この沈黙にそれとなく気づくと言うことが、言葉による一切の説明なしに、あなたがそれを追求し、とらえることのできるただ一つの方法なのです。

言葉や文章や陳述によるすべての努力がほとんど役に立たないことは、はっきりしています。
なぜなら、沈黙の経験は、言葉や文章といった枠の中では決して得られない、という単純な理由からです。
ですから、ヴェーダは、それを「言葉では言い表せないもの」と断言しています。

直接に経験するということは、それがいかに短い時間であれ、微弱なものであれ、またわずかなものであっても、次に進むためのたいへん重要な真の理解力を身につけさせてくれるのです。
 沈黙に初めて気づき、味わうことは、ただの出発点に過ぎません。
 想念が続いて襲ってきます。
 さあ、何をすれば良いのでしょうか?

あなたは、続いて起こってくるすべての想念を受け入れなければなりません。
「この想念は、誰に起こってくるのか?」、「私に」という問いかけを辛抱強く続けてください。
それ以外のどんな方法でもその想念に立ち向かい、それを遠ざけ、静めようとしてはいけません。

そして、「私は誰か?」というカミソリのような鋭い姿勢で沈黙に到達するのです。

それを、1度、2度、3度と仮借なく繰り返してください。
忍耐が要求されます。
一層の忍耐が必要とされるのです。
「真我の探求に近道はありません。すべてのコースを耐え抜かねばなりません」
この忍耐強く、という快くはありませんが、必要不可欠なマハルシの答えが、実は沈黙への道をたどる上での並はずれて大きな励ましなのです。
この道においては、「不断の用心深さが、求道者の払わなければならない代償である」とマハルシは言っています。

沈黙は、内部からあなたを導くでしょう。

もはや気まぐれな心に頼ったりするのは止めてください。
心というものは、沈黙という貴重な宝石をあなたから奪い取る本当の「泥棒」なのです!
あなたの注意を沈黙に向け変えてください。
「どのように」、「なぜ」、「いつ」というように際限なく問いを発する疑い深い心に、注意を奪われてはいけません。
真我の探求を通じて、いったん想念が抑制され、制限された心は、これらの浅はかな質問を発しようとします。

そのような心に立ち向かおうとしないで、心が立ち現れてきた時は、いつでも、「誰が」と「どこから」という根本的な質問を発してください。
賢者たちは、「どのように」と「なぜ」という質問を発するのを忌み嫌います。
そして、彼らは、「誰が」と「誰のところに」という質問を自ら発する人を賞賛します。

想念というのは、一つの動きです。
沈黙は、想念の生まれる場所です。
それは、アーチャラ、つまり不動です。
想念は、無知であり束縛です。
沈黙は、智慧であり解放です。
想念に服従させられると束縛されます。
想念がそぎ取られると沈黙が現れ自由になります。
想念と共にいると悩まされます。
沈黙と共にいると常に幸福です。

考えたり、努力したりすることは不可欠ですが、沈黙は、あなた自身の努力のない、選択のない、自然な状態です。
「探求は、どれくらいの期間実行しなければならないのですか?」という質問は理にかなった大事な質問のように聞こえますが誤った質問です。
いったい誰が「私はどれくらいの期間、息を続けなければならないのですか?」と尋ねるでしょうか?
また、こんこような質問を発するあなたが、永久に息を止めようとあえてするでしょうか?

 沈黙は手段であり、同時に目標です。
 沈黙は始まりであり、同時に終わりです。

沈黙は、「我あり」なのです。

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マハルシの年表
マハルシ(モノ3つ合成2)


複数の日本語文献、shibaさんのアルナーチャラの聖者、アルナーチャラ便り「SILENCE」を読んで、マハルシの年表をまとめてみました。
 *2014年6月23日公開
 *2018年1月22日アーシュラムの歴代会長を追記

1879年
 12月30日午前1時 (日本時間:30日午前4時30分)
  スンダラム・アイヤール(父)とアラガンマル(母)の次男(ヴェンカタラーマン)として
  南インド・タミル・ナードゥ州のティルチュリ村に生まれる
   *両親は、ヒンドゥー教徒。盲目の助産婦が輝ける光を見ている
  長男:ナーガスワミ(2歳年上)
  三男:ナーガスンダラム(6年後)
      後にニランジャナーナンダ・スワミと呼ばれる
      (別称:チナスワミ/小さなスワミ)
  長女:アラメール(8年後)
1891年
  初等教育をティルチュリで修めた後、ディンディグルに移動
1892年
 2月18日
  父(スンダラム・アイヤール)死去
  父方の叔父(義弟)スッバ・アイヤールの家(マドゥライ)に住むことになった
  スコット中学校→アメリカン・ミッション・スクールで学ぶ
   *幼い頃から「アルナーチャラ、アルナーチャラ」という声が常に聞こえていた。
    が、それが何であるのかわからなかった(誰にも聞こえる声だと思っていた)
1895年
 11月1日
  年配の親戚の人がマドゥライを訪れ、「どこから来たのですか?」と尋ねたところ、
  「アルナーチャラからだよ」と答えた
   *ヒンドゥー教の聖典は何一つ読んでいなかった。唯一読んでいたのは、シヴァ神の
    聖なる帰依者63人の生涯をつづった信仰の書「ペリヤ・プラーナム(セッキラール著)」
    だけだった
1896年
 7月中旬
  「死の体験」(太陽暦17歳、西洋歴16歳)
   *自分の身体が火葬場に運ばれて焼かれるのを「見た」。その後もその焼かれる
    感覚は続いた。アルナーチャレーシュワラ大寺院のアグニ・リンガム(火のリンガム)
    を抱いて、「父よ、仰せの通りやって来ました。御心のなすがままに」と言うまで、
    その灼熱感は続いた
 8月29日
  マドゥライを去り、アルナーチャラへ
 9月1日
  アルナーチャラに到着
  アルナーチャレーシュワラ大寺院の千本柱廊のホールに住む(数週間)
   *至福に浸ったまま不動のうちに座り続けた
  子どもたちに石を投げられるなどしたため、パーラータ・リンガム(古の聖者の
  小さな埋葬室。蟻や害虫や小動物がたむろする暗く湿った、日の光が決して
  届かない場所)に避難(数週間。マハルシの大腿部は、血と膿が滴った傷で
  覆われていた)
  ヴェンカタチャラ・ムダリが、マハルシを埋葬室からスブラマニヤ神殿に移す
  (数週間)
  寺院内の夾竹桃のそう林の庭園に移る
  神輿車のあるホールに移る
  寺院の外壁を巡る道沿いの木の下やマンガイ・ピラヤール寺院に移る
1897年
 1月か、2月
  街のはずれにあるグルムルタムに移る
   *ここで初めて字を書いた(タミル語でこれのための奉 仕はこれで十分だ)   
1898年
 5月
  マンゴー果樹園に移る
   *ここで、マハルシは、パラニスワミを助けるため、パラニスワミが読んでいた
    本を手に取って読み通すと、それらの教えの精髄を示す簡潔な概要をパラニ
    スワミに与えた
  父方の叔父(義弟)のネリアッパ・アイヤール(マドゥライで二級弁護士)が訪問
   *まるで岩のように、反応がない
 8月
  マドゥライで一緒に暮らしていた叔父(スッバ・アイヤール)他界
  アイヤンクラム沐浴場の西側にあるアルナーギリナタール小寺院に移り、沈黙を
  保ったまま托鉢を始める(1ヶ月)
  大寺院の塔の一つと寺院内のアラリ樹園に移る(1週間)
 9月
  パヴァラクンドゥル寺院へ移る(ここでも、食を乞いに行くとき以外は、サマーディの
  中に没入したまま座っていた)
 12月
  母(アルガンマル)が訪問
   *小高い丘パヴァラクンドゥルの岩の上に座っていた。ここにたどり着いた母が、
    「家に戻っておくれ」と訴えたが、一切反応しなかったが、見かねた住人たちの
    苦言により、紙切れに返事を書いた
    「神はプララーブダカルマ(過去生における行為のバランスから生じる、今生で
    成し遂げられるべき運命)に応じて、魂の運命を支配する。いかに努力しようとも、
    運命に定められていないことは起こらない。またいかに避けようとしようとも、運命に
    定められたことは必ずや起こる。これは確かだ。それゆえ最善なのは、沈黙に留まる
    ことだ」
  この頃、外的な普通の生活に戻る最初の兆候が現れ始めていた。自ら托鉢に出かけ、
  食事を決まった時間に取り始めた。また、何度か話しをしたり、帰依者たちの要望に
  応じて聖典を読み、その教えの本質を説明したりした
1899年
 2月
  アルナーチャラの丘に移る
  山の上の様々な洞窟に滞在するが、ヴィルパークシャ洞窟にほとんど滞在
  マンゴーの木の洞窟を夏の住居として使う
1900年ごろ
  2歳年上の兄(長男・ナーガスワミ)死去
   *子供はいない。妻は10代
   *長女(アラメール)は、結婚していたが、子供はいない
   *三男(ナーガスンダラム)は、結婚していたが、このとき子供はいない
1901年
  シヴァプラカサム・ピライの質問に答える(私は誰か?)
1902年
  ヴィルパークシャ洞窟でガンビラム・セーシャイヤの質問に答える
  (後に「真我の探求」として出版)        
  三男(ナーガスンダラム)訪問
1905年
  ペストが流行したためパチャイアンマン・コーリに移動
1907年
 11月18日
  カーヴヤカンタ・ガナパティ・ムニと出会う
  ムニにウパデーシャを授ける
1908年
 1~3月
  ガナパティ・ムニと他の人と共にパチャイアンマ・コーリに滞在し、ヴィルパークシャ
  洞窟に戻る
  アーディ・シャンカラ作のヴィヴェーカ・チューダーマニとディルク・ディクシャ・
  ヴィヴェーカをタミル語の散文に翻訳
1911年
 11月
  最初の西洋人であるF.H.ハンフリーと出会う
1912年
  ヴァスデーヴァ・シャーストリーと他の人の面前で、第2の死の体験(トルトイズ・ロック)
1913年
  母(アルガンマル)が、三男(ナーガスンダラム)の妻を連れて、ヴィルパークシャ洞窟に
  行き、ナーガスンダラムに子供が授かるようマハルシに祝福を求めたところ、翌年、
  子供が生まれた。感謝を込めてヴェンカタラーマンと名付けた
1914年
  母(アルガンマル)が、ヴィルパークシャ洞窟に来たところ、高熱を発した(腸チフス)ため、
  アルナーチャラへ祈り(歌)を捧げる
  「おお、智慧の炎なるアルナーチャラよ。その光のうちに我が母を抱き、あなたと一つに
  して下さい!」
1915年
  「ポッパドムの歌」が母のために書かれる
  以下のものも、ヴィルパークシャの日々の間に書かれる
   アルナーチャラ・アクシャラ・マナ・マーライ
   アルナーチャラ・パディカム
   アルナーチャラ・アシュタカム
   デーヴィーカ・ロッタラの翻訳
   アーディ・シャンカラ作のダクシナームールティへの賛歌、グル・ストゥーティ、
   ハスターマラカ・ストートラの翻訳
1916年
  スカンダシュラムに移る
  三男(ナーガスンダラム)の妻が亡くなる
   *三男の子供(ヴェンカタラーマン)は、長女(アラメール)に
1917年
  サンスクリット語でアルナーチャラ・パンチャラトナムを作る
  母がスカンダシュラムに定住
  シュリー・ラマナ・ギーターが、ガナパティ・ムニによりサンスクリット語で著される
1922年
 5月19日
  母入寂
 12月中旬
  シュリ・ラマナシュラマムの現在の敷地に移る
1927年
  ウパデーサ・サーラをタミル語、サンスクリット語、マラヤーラム語で作る
 4月24日
  アートマ・ヴィドヤを作る
1928年
  ウラドゥ・ナルパドゥ(40詩節)をタミル語とマラヤーラム語で作る
   *サット・ダルシャナム
1930年
  サンスクリット語のサット・ダルシャナム(ガナパティ・ムニによるタミル語からの翻訳)
1933年
  アーガマのサルヴァジニャーノータラムのアートマ・シャークシャートカーラをタミル語に
  翻訳
1936年
  シュリー・ラマナ・ギーターをマラヤーラム語に翻訳
1939年
 9月1日
  マハルシによって、マトゥルブーテーシュワラ寺院のために基礎が置かれる  
1940年
  バガヴァッド・ギーター」から42詩節を選び、タミル語とマラヤーラム語に翻訳
1946年
 9月1日
  アルナーチャラ到着50周年記念式典
1947年
 2月
  エーカートマ・パンチャカムをテルグ語とタミル語で作る
1948年
 1月18日
  牝牛のラクシュミーがニルヴァーナを得る
  アーディ・シャンカラのアートマ・ボーダをタミル語に翻訳
 12月第2週
  左肘に小さな瘤を発見
1949年
 2月9日
  小さな瘤を切除
  一週間くらいで傷口完治
 3月最初の週
  瘤が成長
 3月中旬
  再発した瘤(肉腫)を切除
  傷口完治せず、数日後に新しい腫瘍が現れる
  医師が腕の切断を助言
  ラジウム療法で腫瘍の成長が少し治まる
 3月17日
  マハルシの面前で、マトゥルブーテーシュワラ寺院のクンバービシェーカム
 6月
  再び成長
  アーユルヴェーダの治療を始める
  腫瘍が非常に急速に成長
 8月14日
  腫瘍を切除し、ラジウム療法
  3カ月間、腫瘍の成長は現れなかった
 12月初め
  数インチ離れた腕の中央に小さな瘤
 12月19日
  第二の腫瘍を切除
  腫瘍が筋肉の深部に広がっていた
  ホメオパシーを試みたが、再発。アーユルヴェーダの治療も不調
  腫瘍の成長が急速に増す
1950年
 4月9日
  ベッドから離れられなくなった
 4月14日午後8時47分(日本時間:15日午前0時17分)
  粗雑な身体から離れる    
  その瞬間、鮮やかに輝く流れ星が、南(現在のニルヴァーナ・ルーム)から出て、
  空を横切り、ゆっくり北側に動き、アルナーチャラ山頂の背後に消えるのがインドの
  様々な場所で多くの人に目撃される

マハルシが、マドゥライの叔父の家の二階の部屋でひとり座っていたときに、激しい死の恐怖が突然襲いかかり、それについて何をすべきか考え、内面を探求したところ、「私」が肉体ではなく、「真我」であることを何の思考過程もなしに直接知覚し、真我へ没入するようになったようです。(この間、わずか30分くらい)
つまり、「死の体験」をしたときに、「真我の探求」による努力によって、真我を知覚し、真我へ没入するようになったということのようです。(「死の体験」をすれば、誰でも真我を知覚し、真我へ没入できるわけではないようです)

マハルシは、「真我探求」が導く成就は、通常、即座にではなく、長い努力の末にのみ達成できるもので、本来の自己(真我)を実現するための唯一直接的な方法だと語ったそうです。
さらに、「真我探求」は成就するまでに長い時がかかるかもしれないが、変容のプロセスは即座にもたらされる、「自我がそれ自身を知ろうとしはじめた瞬間、それは、いままで巻き込まれていた身体から徐々に離れ、より真我の意識の質を帯びるようになる」と説いたそうです。

マハルシは、ティルバンナーマライの寺院や神殿に滞在した二年数ヶ月、真我に没入して座り、沈黙し続け、世界と身体を完全に無視していました。この間のことを「真我実現のために行っていたのではなく、真我を実現した結果である」と、また、「沈黙していたのは、世俗的な要求がなかったため、単に話す必要がなかったから。話さないということが、妨害から守ってくれると思いついたから」と語ったそうです。

マハルシは、世界の現れに無意識なまま、真我の中に完全に没入したニルヴィカルパ・サマーディ(永久的なサマーディではない)であったようです。
これを、井戸の中に下ろされた桶にたとえて、「桶の中には、井戸(真我)の中でひとつとなった水(心)が入っている。だが、ふたたび引き上げられるためにロープと桶(自我)はいまだに存在している」と語られたそうです。
つまり、このような状態にあっても、サハジャ・サマーディ(最終的な状態。世界の現れの完全な気付きを伴いながら、身体と精神の機能を完全に行使した、至福さえ越えた、妨げられることのない純粋意識。真我にとけ込んだ状態)ではないと語られたようです。

マハルシが、外的に正常な状態を保ちながら日常生活に従事できるようになったのは、「死の体験」から数年を要しています。

【参考】
1.アーシュラム歴代会長
初代(~1953年)
 ナーガスンダラム(ニランジャナーナンダ・スワミ)
 別称:チンナスワミ
 *マハルシ(二男)の弟(三男)
2代目(1953~1944年)
 T.N.ヴェンカタラーマン
 別称:スワミ・ラマナーナンダ・サラスワティ
 *マハルシの甥(三男ナーガスンダラムの息子)
3代目(1994年~現在)
 V.S.ラーマナン
 別称:スンダラム
 *マハルシの甥(T.N.ヴェンカタラーマン)の長男

2.「ラマナ・ペリヤ・プラーナム(75人の古い帰依者の霊性の旅)」
バガヴァーン・ラマナ・マハリシを大伯父に、元アーシュラム会長ヴェンカタラーマン氏を父に持つV.ガネーシャン氏(二男)は、アーシュラム・マガジン「MountainPath」の編集などを通じて、アーシュラムに約37年間貢献されました。
引退後、バガヴァーンの古い帰依者達をアーシュラムに再度招いて、その最期を看取ることを自らのサーダナとされました。
これを機会に、彼らの口から直接バガヴァーンと過ごした懐かしい日々を聞き出して記録することに専心するようになりました。
面会を重ねるうちに、それまで存在しなかった「帰依者達によるバガヴァーンの回想録」が紡ぎ出されました。
帰依者一人一人の心の奥深く仕舞われていたバガヴァーン秘話は、こうして「ラマナ・ペリヤ・プラーナム」として開花したのでした。
「ペリヤ・プラーナム」は熱烈なシヴァの帰依者63人を綴った、タミール・ナドゥに伝わる古い聖典です。
この表題にちなんで、バガヴァーン・ラマナ・マハリシと古い帰依者75人の密接な交流が描かれたこの本は、「ラマナ・ペリヤ・プラーナム」と名付けられました。

マハルシ(540)


 *Talks
 *Talks(独り言)

テーマ:自己探求 - ジャンル:心と身体

1879年12月30日午前4時30分
171127_雲.JPG

1879年12月30日午前1時(日本時間:30日午前4時30分)、マハルシが、この世に現れました。
アシュラムでは、タミル暦で計算されるため、毎年誕生日(ジャンティ:生誕祭)が変わるそうです。
*僕は、基本的に西暦派です。

TALKSの直訳作業がまったくできなくなり、日常に翻弄され続け、源から離れ続けるかと思いきや、突然引き込まれるなど、本当に慌ただしい毎日です。
最近、父の姉と弟が亡くなり、焼かれた粗雑な身体を眺める「私」、そして、きっと、それを同じように眺めている叔父、叔母。
脳梗塞で、自由を奪われた叔父。
痴呆症で、弟や息子の顔を見ても誰だかわからなくなった叔母。
粗雑な身体を離れ、微細な身体で自由を満喫しつつ、粗雑な身体を持つ者にかかわれず、徐々に薄れていくであろう「私」。

粗雑な身体を持たされた意味、目的、理由。
以前、この問題に関して、とても執着していました。
(;^_^A

粗雑な身体を持たされたことに感謝し、今やらなければならないことを、たんたんとし続ける。
言うは易しですが、、、、ま、頑張ります。
(≧∇≦)

では、みなさん、良いお年を♪
(^_^)/~~

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ookuwa

Author:ookuwa
私は、英語がとても苦手なのですが、ラマナ・マハルシの教えをより深く理解するため、「Talks」の翻訳(直訳)をしています。
 * Talks直訳について
もし、転記などをされた方は、転記元(当ブログ)を明記してください(転記などをされた後、その方などが著作権を主張されますと困りますので)。
なお、「Talks」翻訳時に、日本ラマナ協会の故柳田前会長が開催した「神戸ラマナ講座」で配布された資料、柳田前会長が翻訳された本、福間巌さんが翻訳された本、shibaさんの「アルナーチャラの聖者」を参照しています。また、mixiで知り合った方からいろいろなアドバイスをいただきました。(感謝!)
*1994年日本ラマナ協会入会、2008年退会、愛知県

【Talksなどの修正・追記履歴】
2018.01.22 マハルシの年表
2016.03.13 Talksなどのまとめ
2014.12.22 マハルシの文献
2014.02.15 真我の探求方法



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